2009/03/31

泣くのはいやだ 笑っちゃおう 進め!

今日の朝5時ごろ、朝一番の便で郵便やさんに届けてもらおうと封筒を持ってチャリにのって漕ぎ出そうとしたらヒールの靴(最大の敗因)が脱げ、朝もやけぶる住宅街でガッシャーンとチャリごと転倒して手から血が出ました。いたい。
仕方なく家に戻って砂の入った傷口洗いながら、「こんなに痛くて泣かないの偉いよ」とハードルをかなり下げて自分を誉めたりしてやりきれなさをまぎらわしました。

でもそんなことしてる暇ないのでばんそうこう貼ってもういちど郵便局に向かう私。今度は打って変わって足袋のようなスニーカーで。
サドルは皮がはげてなかの白いのが見えてるし、漕ぐとからから音がするのでやばいなとは思いながら、気持ちゆっくり目でだましだまし漕いでいきました。そしたらふと途中でブレーキ壊れてることに気付いた。ヒヤっ

なんとかたどり着いたら郵便局の人に、「今ちょうどトラックきてますからこれも乗せて来ますね!今乗せれば今日中には必ず着きますので!」とさわやかに言われ、ダッシュで奥に走っていく係の人を見ながらありがたさと共に、「都内なら朝いちの便で速達で出せばその日につくのか・・・」と、今後ますますいろんな締め切りを先伸ばしにする情報を得てしまい、同時に焦って転んで傷まで作った自分の愚かしさに遠い目になりました。


始発に乗って帰ってきた風の、他人も自分もどうでもいい早く帰ってベッドに入りたいというかんじで駅からの道を歩く人ですら、私のカラカラいう自転車が通ると二度見した。



突然ですが春休みに読んだ本の中で一番愉快だった本のコーナー

カレル・チャペック ”園芸家12ヶ月”

チェコの小説家、チャペックは大の園芸好きだったらしく、園芸家としての1年間の仕事ぶりを月ごとに述べ立てた一冊。
今まさに読んでるんですけど、難しいこといわないで純粋に面白いな~と感じた久しぶりの本。
いつも読書は考え事の種まき作業みたいな感じですることが多いのですが、この本はチャペックの園芸熱の中に飛び込んで、始終目が笑いながら読むことが出来てとっても楽しい。
本の構成も「1月の園芸家」「2月の園芸家」「3月の園芸家」とシンプルでとてもいい。
こういう本書きたいな。”散歩家12ヶ月”とか

2009/03/30

栗とリンゴジュース(秋だね)

イラレが二度にわたって保存中に強制終了され、仏の顔は三度までらしいですがイラレに対してそんなに寛容でいるいわれもないし、
買ったばっかしのプリンタとの相性もなんかわるくていっつもにじんだりこすれたりするので、これはもうパソコンのせいにしてパソコン買い替えることにした。ついでにイラレも。
明日。
でもパソコン何買えばいいのかわからない。
いまPowerBookのG4(ぱわーぶっくって打って変換したら一発で←って変換されて逆にひいた。他の変換感度は最悪なくせに!)を使ってるのですが、デスクトップを買いたい。
マックでもウィンドウズでもどっちでもいい。
いま遺跡並みに古いウィンドウズのデスクトップがあるのですが、完全にiTunesを再生する機械に成り下がってる。
誰か詳しい人おすすめとかあったら教えて!誰が詳しいのかもわからない!



天津甘栗の皮をむいてる間は、どんな状況でも幸せな気持ちになると思うな。
困ったことに眠いぞ。

2009/03/29

キス アンド クライ

フィギアスケートを見ると、絶対必ず涙目になってしまう。気を抜くと溢れる。
そして見る度に勇気をもらう。
「わたしにはこれしかないから」と言い切って、そのことで逃げずに勝負する女の子は、なんて素敵なんだろう。
リンクの上で6人くらいがいっせいにウォーミングアップで滑ってるのを見たら、もう絶対妖精っていたんだろうな、と思う。
というかスケートをやってる女の子は、前世妖精だったんだと思う。
ひとりひとり個性がある妖精。

フィギアってその選手の雰囲気と、曲と、衣装と、演技の全部がディレクションされてるのが見ててわくわくする。
ますます妖精みを帯びてる。
ロシアの元気な16歳の女の子が、赤い衣装でぴょんぴょん踊るみたいに、すっごい笑顔で踊ってるのとか見たら、真っ赤な花が枝を燃やすように咲いている木のそばの湖で、ぎらぎらした暑い日の光の中、目の強い妖精がダンスしてるのとか想像した。
真央ちゃんは「月の光」で衣装も青で、柔らかいやさしい妖精が夜に踊ってるみたいだったね。
でも安藤美姫がいちばん感動した。
「今日のあの子ったら、全く素敵じゃないの」って湖の周りの木の枝にすわった他の妖精たちが噂するようでした。


女の子の名前で姫って名前に入ってるのいいなぁ。
夏生まれの友だちが「夏姫」でなつきっていうんだけど、すごく高貴な感じがするよね。まあ実際のその友だちは小学生の時シャズナの顔がプリントされたTシャツ着ててつい最近まで「シンガーソングライターになりたい」とか言っていたんだけどね。


あと今日よく流れてたけどいまのアジエンスのCMすごく好き
真央ちゃんのやつも、花が画面一杯に出るやつも。
元気が出たり勇気がわくCMはすばらしいね。



そして選手が演技の後に点数の発表を聞く部屋の名前が「Kiss&Cry」だというのに感激してた。
誰が言い出したか知らないけど名前つける天才だろ。
まぁでも言ってみれば世界中どこでもKiss&Cryですけどね。

そして終電で宇多田ヒカルを聞きながら帰った。

まぁいっいんじゃっなーいキスアンドクラーアーアーアーイ !

2009/03/24

たとえ話

人生はロッククライミングのようなもので、興味のあることや、気になるものがたくさんあったらそれはひとつひとつがでっぱって取っ掛かりのようなものになって、登ることがぐんと易くなるんだろう。
なんにも好きなことや得意なことが見つからない人生はつるっつるの壁みたいで、登るのがきっとすごくタイヘンだろう。

友達に本をオススメしたら、それを読んでから、雑誌とかでその人の文章を見かけるとつい読んじゃうよ、と言ってくれて、そういうとっかかりを提供できたのが嬉しいなぁと思ったので。

2009/03/23

後に続けー さっ どっこまでも♪(ロストボーイズのテーマより)

沼田元氣の「水玉の幻想」という超かっこいい本を買った。

「水の一滴から宇宙を見る絵本」

真ん中の白い丸のところは、実際には表紙から背表紙まで貫通して穴があいてるの。
しかもこれには写ってないけど、帯が水木しげるの絵なの。(たぶん”水”木しげるだから?)
そして裏表紙の帯には、「永遠が見える2,980円!」と書いてある。何も言えない。
中は水玉に関する古今東西の名言(と思いきや全然水玉関係ない”うまくいかなかったおかげで、すべてがうまくいく (みつお)” とかも普通に混じってる)と、写真や、写真のコラージュで構成されてる”絵本”らしい。
中の作品と構成がむちゃくちゃかっこよすぎて、いままで名前は知ってたけど沼田元氣って何者?と思って調べてみたら、芸術家らしいんだけど、アンディ・ウォーホルに師事していたらしい。
そして出てきた他の作品と、プロフィールがやばい


〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(以下引用)
ヌマゲンのマスターピース。

薔薇色の少女時間がつまったビジュアル文芸書。沼田元氣氏が今まで試みてきた「ポエムグラフィ(散文詩+写真)」のベスト版。モデルには、浅野忠信、清水 ゆみ、英玲奈、美香・クレア、福田明子、安藤盟、瑠根子、成松阿留奈、鈴木さらさほか……マル秘ゲストも多数登場。ロケ地、ファッション、小道具まで、ヌ マゲン・ワールド百花繚乱!  
散歩好き、雑貨好き、デザイン好き、アート好き、文学少年少女にもおすすめの一冊です。
巻末にロケ地一覧掲載。

「ポエムグラフィ」という日本語はありません。
「poemgraphy 」という英語もありません。
でも、その表現はあります。
ぼくがその表現手段の実践者となるべく
そんな言葉を作り作品にしてみました。
どうかお楽しみ下さい。
でもこれはぼくの特許でもオリジナルでもありません。
皆がマネして、詩を写真で描いたり、
ヴィジュアルを詩にして詠んだりして、
そんな方法や表現によって
面白い世界を作り出せればいいなと思います。
いつか、ポエムグラフィという表現がひとりだちして、
たくさんの作品がうまれゝばいいなァと思います。
たくさんの若いポエマーやフォト&デザイングラファーが、
楽しく和合合体して、
ポエムグラファ-が生まれることを望んでやみません。
(著者より)

内容(「BOOK」データベースより)
あこがれとうっとりがつまってる。薔薇色の少女時間の文芸絵本。詩を写真で描いたり、ヴィジュアルを詩にして詠んだり。詩と写真のポエムグラフィ。

(以上)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

何者?ってかんじじゃない?
これだけ見るときれいめな保守的なアーティストかとも思うけど、デビュー作が”盆栽小僧のパフォーマンス”で、アンディ・ウォーホルに気に入られたきっかけが”盆栽ファッション”だからね。
なんだか知れば知るほど遠ざかります。
でもすごく欲しい。ほほえみ。
”散歩好き、雑貨好き、デザイン好き、アート好き、文学少年少女にもおすすめの一冊です。”とか頭悪そうすぎて吐きそうな文章だけど、この人が言うこの言葉は、なんだか宗教のようにすら感じます。

この人のテンションが謎すぎて狂人的すぎて、言葉じゃ説明できないんだけど、水玉の幻想にもいたるところに狂ってるポイントがあって、是非みんなに見てほしい本です。
細かいところを抜きにしても、本当にかっこいい作品を作る人です。あたりまえか。でも初めてちゃんとこの人に触れました。



ていうかポエムグラフィにやられた。本や、自分の書いた文章をビジュアルにしようとしたり、逆にビジュアルだけの詩集とかが作りたくて、そういうものがあってもいいじゃないかと思ってたけど、ここにもういました。いいなぁ。やりたいなぁ。ポエムグラフィ。後に続け。



本当になんだかこの人に対しては”カッコいい”とかしか言えない。詩には詩で対抗できない。沈黙しか勝てない。
非常に気になる人です。

2009/03/20

夜の合言葉

夜の庭をぐるぐると歩き回った。
風が希望に満ちていて、夜が親密で、生き物として自立できそうな夜。星の下で眠るコヨーテの気持ちが身近に感じられるような。
トクマルシューゴの音楽とか、ミナペルホネンのテキスタイルとかが似合う気分だなぁ。
風通しがいいかんじ

ベランダに続くドアを全開にして一日中いられるというのは素晴らしいなぁ。
花びらを持って、風がノックもせずに部屋に踊りこんだ


最近暖かいせいでここ何日か、夕方に一瞬真っ青になる時間帯があったけれど、(これは夏が近い証拠だと思っている)その時間帯の散歩が好き。
全ての色彩が水色の色眼鏡をかけたように青く透き通って見えて、空はピンクとブルーのグラデーションで、風がとても強かった。

ひとつの命としての価値は同じなのだから、一本の樹のように、一粒の星の光のように、気高くてあたたかい、懐の深い生き物でありたいと思う。
それくらい寛大で、偉大な存在に。一般的に言う成功とかとは、またぜんぜん違う話だと思う。
大きな木にもたれるように、人が私といる時に安心してくれたら、と思う。
星の瞬きを見るように、何故だか励まされて、全ての悩みがありふれたもののように思える存在であれたら、と思う。
おこがましいかもしれないけれど、いきものとしての志はどれほど高くても高すぎることはないと思う。

2009/03/18

縞ふくろう

このあいだまでワタリウムで展示をやっていた島袋さんのその展示についてのコメントで、わたしが二日くらい前に書いた日記と通じることをおっしゃっていたのでご紹介します


日本って、外国人からみたら単一民族で、一見ギャップがないように見えると思いますが、実はいっぱいギャップがあって、少し世代が違ったり、少しやってる ことが違ったら、ほどんどコミュニケーションがないと思うのです。関わる術がない。だから、東京で、違う世代間や分野の間に橋をかけるというのはやらな きゃいけないし、それが僕の美術の仕事のひとつです。ゴルフの作品のところでも話しましたが、アーティストの仕事というのは、遠くと遠くの、今まで誰も結 んでなかったところを結ぶ、橋をかけていくということがあると思います。


島袋トーク
全文こちらで
アートというもののあり方の考えにとても共感。是非ご一読あれ



あんなに無理のない展示を見たのはいつぶりだろう?ってくらい、見る気持ちに全く無理のない空間だった。
そこにあるものを純粋にうけとめる素直さみたいなものが、あの会場では全開にさせられた。
それをさせてくれたのは、島袋さんの作品からにじみ出る人徳なんだろうなぁ。
「象のいる星」を眺めているときの情景なんか、もうすでに綺麗な思い出のようになっている。
なんとなく、なんだか、いいものを見たなぁって、記憶の中でも大切なもの入れにしまってある感じ。

持って行け泥棒

まるで夏みたいな夕暮れでしたね。
なんて心地がいいんだろう。
最近庭にいる時間が長い。

2009/03/17

長い日記

あまりにいい天気だったので散歩に出た。
今日は朝からお風呂を洗って洗濯物を干して洗い物をして、こう字面にするとまったくもって普通の日常ですが、優秀なお母さんを持つ私にとってはいろいろ家事をしたほうだったので、いろいろやらなきゃいけないことはあるけどパソコンの中には天気なんてないし、日が暮れてからやっても一緒だと思ってちょっとだけ外に出た。

こんなに純粋に、何かから逃げるようにするのではない散歩はどれくらいぶりだろうと思った。
ただただ天気のいいのが気持ちよくて、背の高いモクレンを見上げて、椿の花にたっぷりと当たる日の光に目を細めて、ストールをはおるだけでひらひらと気持ちよく歩ける暖かさにうっとりとして、どこまでも歩いた。
何も買わなくても、途中でお茶をしなくても、ただ、このきれいな日を歩いていたいと思いながらいつもは通らない道を通った。

世の中には、求めないでいるとより多くのことが得られることがたくさんあるように思う。
今日もそんな日で、いつも行く古本屋さんのたった2軒先に、かわいらしいお店があるのを見つけた。
新しくできたお店かな?と思って入ると、どんぐりみたいな帽子をかぶった、かわいらしい女の人が挨拶をしてくれた。
1年半くらい前からあるらしい。全然気づかなかった。週に1度はかならず古本屋に行くのに。
そのお店は南米やアジアで実際に使われている日用品を扱っているお店で、「機能は劣るかもしれないけれど、忙しい世の中に少しでもやさしいものを取り入れられたらと思って」と、目をまん丸くしながらお店の人は話してくれた。
フリーダカーロの顔の周りが全部スパンコールでふちどられている大きいワッペンがすごくほしかったけれど、高かったので諦める。給付金をもらったら買うかもしれない。
けれど春だから、薄いピンクのハンカチを買った。花の刺繍がしてあって、その花の名前を聞いたけれどもう忘れてしまった。これお母さんにあげようかな、それともだれかにプレゼントしようかな、と思いながら、でも多分自分で使っちゃう。

他にもメキシコの青いホーローのスプーンやら、いろいろ素敵なものがあったんだけれど、中でもいちばん良かったのは「カンガ」という東アフリカの民族布でした。
最近赤ちゃんのおくるみにつかってる若いお母さんとかをよく見るけどああいう大きい布で、スカートにしたり首に巻いたり、何にでも使えちゃいそうな布。
そしてその布がすばらしい最大の特徴は、布いちまいいちまいにメッセージが込められているということ。
調べてみたら「カンガセイイング」というらしいんだけど、(以下参照)



カンガセイイングには、昔からのスワヒリのことわざや、人生の教訓、愛のメッセージなどいろいろな言葉があります。 女性たちは、自分の気持ちや考えをとくに主張したいとき、その気持ちにぴったりのカンガセイイングの書かれたカンガを着て、さりげなく自己主張します。 カンガを腰に巻くと、ちょうどカンガセイイングの部分が足首の後ろにくるため、他人は後ろからその文字を読むことができるというわけです。 現地では、カンガのデザインよりもカンガセイイングの意味の方が、カンガを選ぶときの大きな基準になっています。


どう素敵でしょう?

そして発展途上国の、まだ女性の地位が高くなくて、自由に発言することを許されない国では、女の人たちはキルトや刺繍をするときに、密かに自分の想いをそこに込めて針仕事をして、出来上がった作品は、一つのメッセージになっているという話を思い出した。どこの国でも同じように、誰もが自分の持ち場で精一杯、なにかを言おうとするんだなぁと思った。

わたしがいいな、と思った青と白と黒でバナナのデザインがされている布は、「美徳は廃れない」という言葉がついていた。
あと同じ色合いで、ふちにプラムのような果物がぐるっとデザインされていて、真ん中になぜかラッパが描かれている、すごく欲しいな〜と思ったのには、「あなたが何を言っても、私を動かすことはできない」だった。

これを教えてもらった時、私は絶対、もう言葉抜きでデザインだけじゃこの布を選べないと思ったんだけれど、帰って調べてみたら上の引用文のように、現地ではデザインより意味の方が選ぶ基準になっていると知って、やっぱり、と嬉しくなった。
自分が主張したくないことは、どんなに素敵な色形のものでもまとえないもの。
と同時に、見ただけじゃ何とも思わなかった布に、見透かされたような言葉がついているとどうしても自分のものにしたくなったりした。
素敵だなぁ、あれ。いつか絶対買いたいです。給付金が入ったら。

そのお店の名前はモチレロ
是非行ってみて。やさしいお店の人に和む



そう思ったらさぁ、目を閉じて考え事してないで、目をちゃんと開いて、生きなくちゃ。


白い建物をバックに、木から花が咲いているのか花から木が生えているのかわからないくらいたわわに大きな花をらんらんと咲かせているモクレンの木を見つけた。


帰ってからおにぎりをつくって食べて、いろいろして、お母さんが帰ってくると夕飯の支度を一緒にした。
今日はハンバーグだったんです
最近夕飯はお母さんと一緒に作ります。自分で作ったご飯はなぜか残せません。意地かな。

ハンバーg

この間お父さんがゴルフクラブを持ってきて、
「このカーブしたところにまっすぐな線が引きたいんだけど、普通の定規だとフィットしないからなんかデザイン科ならではのグッドなアイテムはない?」
とか言ってきたから、なんじゃそらと思って
「少し厚い紙をカーブに沿って当てれば、定規代わりになるんじゃない?」
とやってみせたら、
「なるほど!」といって、「デザイン科って頭はいいけど原始的だね!」と感想を述べて去っていきました。


前も書いたと思うけど、異業種に対して、私たちは多くのことを期待しすぎるというか、自分の見地じゃおよばない、はかりしれない知識やら技やらがあると、相手に対して多くを見積もることが多いような気がする。
だからデザイン科って言うと、すごいね!とか、なんかマックとかなんとかとか色んなものを駆使して、すごいものをつくるって思われてるのかもしれない。
けど、そういうものを相手のいないところで駆使してなんかすごい解決策を提示するだけじゃなくて、解決のヒントを教えてあげるられることが、相手にとっていちばんいいことじゃないかと思う。
途上国に一回井戸を掘りに行って満足して帰ってくるより、現地の人にみっちり井戸の掘り方、管理の仕方を教えてあげることの方が、はるかに発展性と将来性がある。
そういうかんじで。
「なんだそういうことか!」みたいな、「それでいいんだ!」って、相手を少し楽にさせる目線を提示することが、デザイナーにはできることだと思うから。

なんかそういうことを考えました。


しかし頭がいいけど原始的って褒め言葉だよね。

2009/03/15

気持ちのいい作品に不可欠なのは、「自信」じゃないかと思う。
同じ人が作ったものでも、どうしてこうも気持ちの起伏で良さが変わるのかしら。と思ったので



昨日「おくりびと」を見てきました。死ぬ時はわたしも大切に扱われたいなぁと思った。
大切にされる実感って、ふだん、生きてる私たちでさえわかることが、死んだ人にわからないはずないと思うんだ。




今日はいい日だったなぁ。素敵な日だった。発見は人生の醍醐味だね。
悲しい記憶は、いつか楽しい記憶で塗り替えられるということを今日ふと知った。ありがとう

カプチーノ




友だちのブログで思い出して最近ハマってる
歌詞が切ないじゃない

2009/03/13

好きなことを隠さない人が好きだけどちょっと憎たらしい

やばー人生がめちゃくちゃ楽しみになってきた
一晩でこの違い。友だちよありがとう


原美術館と、ART&CRAFTS展いってきた。
ウィリアム・モリスの肩書きは「デザイナー・思想家・詩人」なんだけど、本当にその肩書きそのままほしい。
でも自分の世界観や思想を世の中に提示していこうと思ったら、デザインだって必要だし、言葉だって必要だし、音楽だって、空間だって、必要なんだよね…
職種にとらわれないで、「必要なときに必要なことをする」ってのができたらいいなぁ。そうなりたいなぁ。
前から思ってたんだけど、世の中のたいていのすれ違いは異業種とか、異分野での価値観の違いが原因のことが多いと思う。
他の国はどうか知らないけど、日本だと政治のことは政治家が語るし、いわゆる”専門家”が全部話すよね。でも、
魚屋さんが世界情勢を語る、とかでも全然いいと思うんだよなぁ。

色んな業種をまたいだ人がいろんなところに点在して、人と人とを結んでくれたらものすごくありがたいとおもう


自分の思想を軸にして、あらゆる人と手を結んでいけたらいいなぁ。



見にきている人のほとんどが中年の主婦の人たちで、9割がベージュかグレーか黒の服を着ていて、なにかをいいと思うなら、まず自分がそれの体現者であるべきであるなぁと思った。本当に小娘の分際で申し訳ないけれど。でもすごくおしゃれで目のキラキラした小さなお婆さんがいて、ため息をつきながらティーセットを見ているのとかは、すごく胸がすっとした。

最後のミュージアムショップでは、クッションだとかエプロンだとかランチョンマットだとかジャムだとかにさっきまで見ていた過去の美しい文様がプリントされている見事に客層を読んだグッズがたくさん売られていて、それもうーん、、、と思った。
美しいものを愛して、身の回りに置くのは本当に素晴らしい精神だと思うんだけど、その気分に乗じてお金儲けをするのはいかがなものかな…と思ったりもした。
もしそこで売るんだったら、質の高いものを、でも主婦たちが納得する値段で、現代の気分と情勢をふまえたうえで置いてほしいなぁと思った。
日本でものを売りたいと思ったら、あんなに安っぽく大量に並べるしかないのかしら?
そんなこと、ないとおもうんだけどなぁ。



最近「知恵」というのは、何かが上手くいかないときに、それをなんとかして上手くいかせるように工夫することだということに気がついた。
ただたんに古い香水を洗濯機に入れたり、新聞紙で窓を拭くといった、もう知っている知識を実践することではないということ。自分で生み出すべきだということ。
そしてその工夫の結果、汎用性のある事柄に気づいたら、それが「アイデア」になるんじゃないかなぁ。




原美術館ははじめていったけど、なんだかチルアウトな場所ですね。すごくいいね。
都会は忙しいけど、こういう場所もあるからいいよね。と思えた。




渋谷のガレット屋さんは夢の味がした。



さぁ、現実を味わわなくっちゃ。


柘榴(ざくろ)
という言葉の、字面と、響きと、色の組み合わせがこの上なく高貴で綺麗だと思う。

ファンデリア
の語感も死ぬほど好き。やさしいし、透き通ってて、弱々しいけどすごく強い。花が溢れるように咲いて、発光しているよう。

2009/03/12

目について

自分の顔をじっと鏡で見つめてみた。
記憶力がいいことの悲しさは、同じ鏡に映した同じ自分に、かつて感じた目の輝きを見いだせなくなった時に初めて知った。
左の目が、右の目よりも少し小さいことに初めて気づいた。
「自分がいいと思ったことを信じればいいんだよ」
と左の目にささやいて、私は鏡から離れた。
鏡の中の私は後ろを向いて、そのまま眼鏡をとりに洗面所へと向かった。



「自分のやらなきゃいけないことをわかっている女の子の目は輝いている」
ということを、数年前のooiooのライブで悟ったのですが、本当にそうだと思う。

2009/03/11

友だちのブログで紹介されてた、すごくいいストップモーションの作品。まず題名がいい




サビの音楽が、
上から光が差し込む深い穴の底で、丸く日に照らされた底にはあおあおとした苔が美しく生えていて、そこで光が踊っているかのよう。
誰も見たことのない場所が抱えるさびしさと自由さ。

オレンジの光の輪を腕に抱えているような気持ち。
光はどんな手触りなんだろう。
空気のようにふわふわと感触はきわめて薄いけれど、薄荷あめのようにすうっとからだの中につんとした緑色の風が通り過ぎるようかしら

夏のヒトデにぶら下がって 上から花火を見下ろして

大学受験のときは、何も失うものはないと思ってた。
絵に対するプライドも全くなかったし、守らなきゃいけないものは自分の誇りと芯だけで、それすらも壊されるものならいくらでも壊してもらってぐんぐん伸びたいと思ってた。
だからすごくどん欲だったし、勘を働かせて飲み込みも早かったように思う。

けどいまは、大切なものがいっぱいできた。
よくも悪くも抱えているものが多くて、でもその中で「どうしようコレ…」って座り込んで途方に暮れているんじゃなくてこれからはそのなかで絶対捨てられないものだけつかんで、一生捨てない覚悟で、今後のことは全てやっていこうと思った。
なくしてしまうことを恐れて全てに足踏みするんじゃなくて、絶対になくさないって自分で決めることからスタートしようと思う。


覚悟ってやつね。

でも守りたいものができたことは、幸せと思う。


いるかにさわった。すべすべしていたよ。
白いるかにもさわった。ふつうのいるかよりもやわらかかった。
でも性格は、いるかのほうがやさしいようだった。
さめは、やっぱり鮫肌だった。
らっこには歯がはえていた。
黄色のヒトデがいっぱいいる水槽に雨が降って、まるで夜空が落ちてきたかと思いました。



文学ゼミどうしてもとりたいなぁ。お願いしにいこう。

2009/03/09

ゆゆ ☜2匹の魚のようにも見える


悶々とした一週間を過ごしておりましたら、神様が人間を通してお告げをくださったような話を聞くことができた。
なぜか話の筋には全然関係ないのに、なぜかいまの私の心にぴったり沿う話題ばかりを突然始めたりしてくださった。
1時間で6冊分の本以上のことを得た。
自分がしたことは、どんなささいなことでも必ず何かに結びついていくんだということをしみじみと感じた。頑張ったら頑張った分だけ、意外な形で自分に帰ってくる。
でも、じゃあわたしが涙を流すと、それを受けた世界でいったい何が起こるんだろう?とふと思った。


その人に敬意を表して、あしたはひらめを見に水族館に行きます。
一緒に行く人の「ひらめって魚屋にいるんじゃない?」という提案に衝撃を受けた。
たしかに…!神聖化しすぎていて忘れていた。おいしいもんね。


シ〜パ〜ラダ〜イス♬
結構前に藤井隆が唄ってたよね。

2009/03/07

ゆゆ ☜猫の目のように見える

友だちが日記に書いてて知った小林聡美.jp の小林DICTIONARY…!

http://kobayashisatomi.jp/index.html
サイトのポップさにも注目

小林DICTIONARYに入って、右上のサイトマップで見たいのだけ選ぶこともできるので、「視力」だけでもぜひみてください。めちゃ笑った
あと「ロックンロール」と「雨」もおすすめ
いちばん最近のから、後ろ歩きするように繰り上がってみてるのでまだ「あいさつ」までしかみてないのでこれからわくわくしながら見ます。
こんなに「こんなに自分を夢中にさせるものがあるなんて…!一生読み終わりたくない!助けて!」という気分は、暮らしの手帖の”すてきなあなたに”の単行本を読んでいた時以来です。
すぐ次見ちゃうのがもったいなくてしばらく下の小さい絵とか見て想像力とかをあそばせてにやにやしてからじゃないと次ぎにいけない。もったいなくて。
いったい何がもったいないのかはよくわからない。このわくわくした気持ちですね。


彼女を見ると、自分の平凡な名字に非常に希望が持てます。

ああ恥ずかしい

今日スタバで可愛い赤ちゃんとアイコンタクトをとりながら思ったこと


自分の子どもより美しい詩はきっとこの世にないだろう





そして
幼児が”いないいないばあ”で喜ぶのは、『自分の視界から消えたものが変わらずそこに存在し続けるという認識がないから』なんだって。
ということを思い出した



なんだか最近日記で言いたいことの2割も言えないです
毎日素晴らしいことがもちろんあるんだけれど、毎日文章にするんだけど、でもその根底に割り切れなさとかいたたまれなさとかさびしさとかが流れているからなんだか人に読ませる気になれなくて、かさかさと書類フォルダにしまい込まれてしまう。

私は明るいことだけ言っていたいと思っていて、けど暗いことを言っていてもなぐさめられたり、なぜかふとやさしい気持ちになったりするものがあるのはなぜだろうと思っていて、逆に底抜けに幸せな話でもふとなんとなく胸が暗くなるようなものがあるのはなぜだろうとずっと思っていて、私の中でそれはかなり重要な疑問だったのだけれど、
何を言うかよりも、言うひとの言うときの気持ちが、見る人の心に強く作用するんだと今気づいた。
だからこのコンディションでどんなにいいことを言っても、きっとなんだか読む人は割り切れない気持ちになるんだと思うわ。

こんなにさんざん書いちゃったけど。ごめんなさい。
けど明日は晴れるっていうし、本のページで撫でて傷を癒しますので、元気になったらまたもりもり書こうっと。
このもやもやはまぎれもなく自分が生んだものだから、ほんにしっかりしなきゃな。
うん。


そう、だから何より言いたいのは、ものを作る人は、いつでもくつろいで、楽しんで!!!心から!!!!!
それは自分のため以上のことだと思うんだ。義務とさえ。

青い部屋



この一コマめ、私の中で”楽園”ってこういうイメージ。
この終わり方もすごく好き。endの字が大きく入るのも。これを才能というのか。なんとむごい
松本大洋/日本の兄弟収録作品 ダイナマイツGON GON のラスト。
すき。この話だけ何度も繰り返して読んじゃう。熊のミーシャもかわいい。小さい頃がかわいそうすぎてあんなに小さいコマなのに、釘付けになって胸が痛む



赤毛のアン(アンシリーズは全部で10冊あるんだよ 知ってた?)を読破しそうです。

2009/03/04

雪の降る日は、みんな眠るのが早い。

まだ起きている人は 部屋をあったかくしてね
そしてがんばりすぎないで

言葉がまだ冬眠から覚めないかんじ

2009/03/03

静止する動き

本当に最近鈍くなってる気がする。いつからこんなにほんわか系思考になったんだ私。昔はもっとビビットでとんがってたじゃないかわたし。可愛く見えても動きと発言はシャープ、が理念だったじゃないか多分。

今日”ドラマ”のイメージを考えてた時に、あっと思いついて「ハイジが立った!」って普通に言いました。
「クララだし」っていわれるまで気づかなかったし。
ハイジが立ったとか。。。日常茶飯事だし。。。。。



そんな冴えない自分とサヨナラするために美輪明宏さんの本をさっき買ってさっき読み終わりました。
「乙女」っていうのは、「甲乙丙丁」の上から二番目のランキングの、”乙”がつく女って意味らしいです。
いちばん上じゃちょっとできすぎでやらしいけど、つまり”いい女”って意味なんだって。
これで心置きなく一生乙女宣言ができます。
なよなよ花占いしてるのが乙女じゃないんだね〜。
乙女は誰よりも優しく、誰よりもかしこく、だれよりもしたたかでないとだめなんですね。

2009/03/02

多摩美術大学グラフィックデザイン学科の卒展を見ておもったこと。(作文)

・コンセプトが前面に押し出されているのはダサい。
・人はわかりやすい物に惹き付けられる。(かわいい!かっこいい!怖い!気持ち悪い!綺麗!と言いやすいもの)
・暗いことを表現したからって見る人が暗い気持ちになるわけではない。明るいことを表現したって、見た瞬間明るい気持ちになるわけではない。それがいい風にも悪い風にも作用するから、大切なのは何を言うかよりも、どう言うか。