2008/12/31

白黒茶

おおみそかに満ち足りたいい気分だと言うことは、きっといい一年だったということでしょう。

今年はかなり自分が変わった年だったなぁ。
つらいながらも変わったところもあるし、変わらざるを得なかったところもあるし、自然と変わったところもあるけど、とりあえず去年のわたしと今のわたしはぜんぜん違う。
いいのか悪いのかはまだわからないけどね。
けど、努力ということの大切さを知った年でもあったし、いろんな意味でキャパが広がった気がします。
いつもは自分にできないことや、自分のだめなところを気にしてばかりで実はその間もこっそり成長し続けている部分に気づくことはめったにないけど、今年の暮れにはそういうことにちょっと気づけたりもして嬉しかったな。


育ってきた環境が違うから、人によって幸福論はさまざまなんだよね。
でも、わたしはわたしがほしい幸福に向かって泣きながらでもまっすぐ進めた一年だったと思います。それは誇りたいな。



嬉しいことや、楽しいこと。優しいことや、激しいこと、驚くようなことや、静かなこと。
いろいろな気持ちや状態があるけど、常にフローでいられるように、そしてそこから明るいことをいつでも投げて、世界中の暗い気持ちと戦えるように、来年はもっとしなやかに行きたいです。



ここまできたんだから、もっと行けると思う。


今年の自分の肩をもみつつ、来年もよろしく、と思う。



みんなありがとう。大変お世話になりました。お互い様でささえ合って生きてゆけるように、来年もすこしずつ登っていきます。
来年もどうぞよろしくね。


さーご飯まで作品つくるか。良いお年をお迎えくださいませ!!!

2008/12/27

やっぱり

eありすぎだね。↓

暖かい腕の中

やりたいことやってる人はたくさんいるんだということを今更実感して、なんだか焦るよー。
GReeeeeeN(eがほんとは何個あるかなんて知りません)ですら歯科大なのに音楽やってるし。
よく考えてみればそんな人ばっかりだよね。
自分の今いる環境に一直線じゃなきゃいけない理由はなにもなくて、結局自信がなくて逃げ続けてただけなのかも!
でも焦ってやっていいことなんか何もないからね。
落ち着いて、そうスピードより重要なのは着地。
あんなこといいなできたらいいなじゃなくて、ドラえもんいなくても始めなきゃなぁ。


ワタリウム美術館の地下の本屋はアドレナリンでまくる。
久しぶりに行って、しかもあの本屋がワタリウム美術館だということを忘れていて、地下降りていって天井まである真っ黒い本棚と立てかけられた梯子を見た瞬間口がチェシャ猫みたくなった。

私は死ぬなら晴れた日に木漏れ日が差し込む深い森の中の、乾いた土と草の上で死にたいと思っていたけれど、あの梯子から真っ逆さまに落ちて死ぬのでもいいな、と思いました。
美女と野獣でベルがよくいく貸本屋さん?にあるみたいな梯子だよ。





考えることに書く手が追いつかない。
パパパパパッと一瞬のうちにひらめいて繋がって行く考えは、側に来てくれたことが奇跡のような、まるで蝶や鳥に似てる。
羽根が光に透けて光って、あっと思った次の瞬間には花の咲いた木のてっぺんに止まってしまう。ドキドキしながら祈るように眺めていても、そのうちもう二度と逢えない所に飛んで行ってしまう。

それらを捕まえて、弱って死んでしまわないように、飛んでいるときの自由さはそのままで、それを自分のやり方で定着させるまでの間活かしておくことが、実は一番大変なんじゃないかと思う。
創造の8割ぐらいは、そのエネルギーなんじゃないかな。
自分の中が鳥籠になったよう。それって素敵な考え。
自分を大きくすればするほど、鳥や蝶は楽しく飛んでいられるね。その大きさはきっと、心の大きさなんだと思う。

心臓や動脈の間をすり抜けて、やがて肺にとまる。
白い肋骨が抱くように囲む中

2008/12/26

グラフィックにいてデザインの作品を作るときは9:1くらいでコンセプト:表現(定着?)なんだけど、
物語を考えるときはなぜかその割合が1:9くらいになる。


それって不思議だなぁと思う。なんでだろう。


広告とか作るときは最後の着地までちゃんと想像してよしってなってから進めるし、ピンときたアイデアって途中で何かあっても、巨大迷路で迷ってる時に上から見てる人が道を教えてくれるように糸口がなんかしらみつかっていくけど、
お話は、「こういう設定で書きたい」とか「この言い回しが使いたい」とかがぐんぐん先に行っちゃって、最後の景色がけぶったままになってる。
すすんで行くうちに徐々に晴れて行くと言うか・・・


それがデザインとアートの違いなんでしょうかね。
自分のお話がアートなわけじゃないけれど、外に開いて行かないで自分の中に深くもぐっていく種類の表現ってそういうものなのかな。
書いてゆくうちに連鎖的にわかってゆくことがあるという風な、一つの話の中で自分自身も成長してゆくというか。



というわけで、いろんな人からお話書いてよって言われてとっても嬉しいんですが、オチがつけられなくて困ってます。
オチがつかなくていい作風みたいなのを模索するべきか。
いやでもなぁ。
読んだ人に得るものがない物は書きたくないな。でも自分が本当に思ったことを書けば、それはだれかの実感になるとは思うんだけど。
多くのことを求めすぎなのかな。自分にも。?
細切れの思想をひとつの物語の中にまとめていくのって本当大変だ。これが創造というものか。

4人の人にお話を渡す約束をしているのですがまだどれも完成していません。がんばります。
これから書きたいお話リスト

・名前を付ける仕事の人の話
・悲しみを燃やす仕事の人の話
・星屑が降り続ける町の男の子の話
・ミルクの雨の話
・ビールの海があって、ミルクの雨が降る国の話
・いつもの風景の、細かい細かい描写だけの話

2008/12/23

日本にキリスト教信者がそんなにいないのにクリスマスがここまで根付いたのって、
会いたい人に会えるいい口実になったからじゃないかなぁ。

夫婦でも恋人でも友だちでも、引っ込みTHE案な日本人はあんまり素直に会いたい会いたい言えないから、
クリスマスなんだから一緒にいて当然でしょ!って、ほかに理由を持ってきて堂々と甘えられる日ができてきっと嬉しかったんだね。



渋谷のハンズで天才の美咲ちゃんに会った。
「良いクリスマスを!」って言ってにっこりして別れた。
やっぱりクリスマスがあるのっていい。

おやすみ、こわいゆめをみないように。

たくさんつくらないと、人の目にとまらないし自分の考えなんかわかってなんかもらえないよって、教授が授業で言っていた。

でもよく考えたらファッションデザイナーなんて、一年間に2回コレクションの発表があって、例えば今年のS/Sは雨!とかコンセプトを決めたら、それに沿ったスカートからトップスから靴下からバッグ靴帽子巻き物アクセサリーパンツ、メンズもあったらまたパンツシャツソックス帽子鞄巻物靴………ってガーッと作るわけでしょう?半年間で。
デザインあがったら工場に出してチェックしてショーの魅せ方考えてモデル決めて曲決めて完成したらきっともう今度はA/Wの準備でしょう?

ずーっと自分の哲学をブランドという形で持ち続けていく中で、毎シーズン、以前よりさらに新鮮な角度から世の中に提示し続けていくというのは、消費者の気分でいる限りは全然気にならなかったけど、同じ表現者としてかんがえてみるとものすごいことだよね。


今日、渋谷西武のY'sの店内で、「これ全部、人が何かを伝えたくて考えて作ったものなんだ…そしてこれはたった半年間で消費されてもう数週間後にはあたらしいビジョンが提示されるんだ…」ということに初めて思い当たって、なんか呆然とした。
しかもそれをもうずっと何年も、同じ信念を持って続けているんだ…ってことですよ。
こわい。


YAB-YUMのデザイナーの言葉
「昔から、価値のあるものを残していくという感覚が日本にはあったと思うけど、YAB-YUMを始めた94年頃は流行の移り変わりが激しすぎたと思う。
そんな時代だったけど、僕の好きなテイストは基本的に変わらないから、作品には“YAB-YUMっぽさ”がいつも残っていた。
でも世の中に、その“YAB-YAMっぽさ”に似たものがだんだん増えてきて、自分が好きなテイストのはずなのに、ほかの人が作っている“ぽい”ものを見ると不思議と嫌な気持ちになることがあった。
だから、“YAB-YUMっぽい”テイストを捨てて、新しいことに挑戦したりしたけど、“ぽい”ものの方がジャーナリストの評判がよかったりして……。
核の部分を残していくことは大切だけど、1つの世界にハマりすぎるのはクリエイティブなことじゃないと思います。」


画家のデ・キリコは晩年、「自分の模倣をした」画家だと笑われたそうですが、そんなキリコのことを全然笑えない。
過去の自分の模倣の作品だけは、いつまでたっても作りたくないなと(こんなぺーぺーのわたしですが、だからこそ)思う傍ら、そのキリコの気持ちの弱い流れのようなものが本当におこがましいけどでもその片鱗みたいなものは、わかる気がする。
「これやったら多分まぁ褒められはするだろうな・・・」みたいなことってあるけど、それをやったらもうダメになる気がする。絶対。

だから自分のスタイルを持ち続けることって、すごく大変なんじゃないかなと、自分のスタイルがない私は推測します。
奈良美智さんもそんなこと言ってた。
「みんなが欲しい絵はどんなものかわかってるけど、自分の中で少しでも前の作品を越えないと作っていく意味はないから」というようなこと。
自分との戦いなんですね、みんな。
多分そっちの方が長い戦いなんじゃないかなぁ。外の世界と戦うよりも。

でも本当に大事なものや価値あるものは、往々にして手間がかかるものなんですね、きっと。


全体的にえらそうですみません

私は卒業までにビジュアルコミュニケーションを死ぬほど勉強した方がいいと思います。
自分の哲学とうまいこと重ね合わせながら。

2008/12/22

ダイジナヒトトゴジブンノカラダニアイヲ

風が強いから、今夜は音楽をかけないことにする。
かけても強い風により音符は五線譜から吹き飛ばされる見込みです。
ビュウという音で甘い歌詞は空へ飛んでゆくでしょう



9時に起きて、支度をして、スタインベックの短編集を買いに行こう。加瀬・ラブリー・亮が好きな小説はスタインベックの「朝めし」だと言っていたから。早く読みたい。「怒りの葡萄」は、いつも題名と表紙のチョコレート色が気になって古本屋で手に取るけど、買わない本だった。短編から入ろう。そうしよう。
そうしてなるべく外で、それを読もう。
暖かくて風の強い日は大事にしたい。寝るのがもったいないくらい。



さー中川俊郎聴きながらねるか

2008/12/19

苔の丘

夜空を見て思うことを
昼間の町中で思い出してみる


星の光を日の光に溶かしてみる


違う表情を受け入れる


光は結晶になって 降り始めた 景色は白くけぶった



星はなんで瞬くんだろう

寒さにふるえているのかな?それとも燃えているのかな?
それともなにかが降っていて私の目を遮るのかな……




目に見えず 音もなく 形もなくふりつもる星の屑は 
まるで愛に似てる。

2008/12/17

夜間飛行

この二日すっっっっっっごい寝た んですが、そして今呆然としているのですが、
ずーっと宇宙の夢見てた。
設定は色々違うんだけど、全部宇宙がキーワードになってた。

宇宙でバスに乗って、降りる時に財布持ってないことに気付いたら運転手さんは「あーいーよいーよ」と言ってくれた。
本当に宇宙だったのかな?でも”行動のやりなおし”ができたからきっと宇宙。

本棚を持ち歩けたら

遅刻(寝坊)ぐせを直す。ぞ。


水木しげるが「才能のない人は努力しませんね」と言っていてグサッッッッッッっときたので、お話考えよう。

あと宮崎駿が  
  
「生産者であることと消費者であることは同時でなくてはいけないのに、私たちの社会はほとんどが消費者だけで占められてしまった。生産者も消費者の気分でいるというのが大きな問題だと思います。

それは自分たちの職場で感じます。人を楽しませるために自分たちの職業で精いっぱい力を尽くすのではなく、それもやるけれど、ほとんどの時間は他人が作ったものを消費することによって楽しもうと思って生きていますね。

それは僕のような年寄りから見ると、非常に不遜なことであるという風に、真面目に作れという風に、力を込めて作れという風に(感じ)、「すべてのものをそこ(作品)に注ぎ込め」と怒り狂っているわけです。だから全体的なモチベーションの低下がこの社会を覆っているんだと思います。」





と言っているのでこれもグサッッッッッッっっっときたのでやんややんや。



なんか本で得ることと、からだを動かして得ることのバランスがとれてない感じをなくそうとおもいます。
からだを使わないと、逆にあたまがぼんやりしてくるのね。





あと、街行く人を見ていて「素敵な服だな」と思って目を留める人と、「素敵な人だな」と思って目を留める人とがいるけど、服より人が、ピンとたっているようなおしゃれをしよう、と決心しました。というよりそういう気持ちを思い出しました。

2008/12/16

主にクレープについて

世界はいろんな見た目の鋭いナイフで溢れている



一週間の感情で永遠を推し量るのは浅はかだ


今日たべたもの

ごはん たらことのりと共に 
お父さんのお弁当箱に入りきらなかったからあげとシュウマイもひとつずつくらい食べる
クレープ(イチゴチョコ生クリーム)
カレー
豆と赤かぶのサラダ
かぼちゃの煮付け


原宿でいちばんおいしいクレープ屋は、ラフォーレのすぐ隣にあるやつ。
ひさしぶりに食べたくなったので買おうとしたら並んでいる人たちがカップルばっかりだったのでおじけづいて渋谷まで歩いてパルコの近くで買ってたべた。初志貫徹 おいしかった

2008/12/15

言葉から離れたい


原田知世のmusic&meというアルバムの、Aieという曲があまりに美しくて歌詞検索したら、作曲が高木正勝でした。
歌詞は英語だったのでスルーしました。

冬の寒い夜に、胸のそこに溜まっている薄い不安のような音楽です。愛する人の、けど永遠に知り得ない一部分の奥から漏れる細い一筋の光のような。
どうしても行けないけれど今すぐ行きたい場所のような。それは今いるこの場所だと気づくような。
弱さや悲しみの美しい部分によりそってくれるような音です。
このアルバム、Aieからノスタルジア、くちなしの丘の続けて3曲があまりによすぎて昨日からそこだけ延々と聴いています

口から白馬

一つ意見を言ったら、その瞬間その反対の意見を否定していると思う思考回路って、わかんないな、と最近よく思います。
肯定や賛成を、何かの否定に結びつけるのって良くないと思います。

深読みというか、知性を見せるために先回りしてそう思うのかもしれないけど、想像力というのは可能性を広げるために使うものだと思うのよ。

真実を見つける途中で、しかも何か事件の犯人を捜しているわけでもないんだから、そんなとこで持ち駒減らしてどうするの!ってね。
どれだけあらゆる目線を抱えられるかが、度量、と言うことだと思う。


という意見も別にこう思っていない人のことを否定するものではないですよってことね。
私が今思っているだけのことです。



謙虚でいることと、自信を持つことは、同時に行わなくてはいけない。
シャーマンの教えだっけな?


そういっている私が適性検査で「一面的な見方や考え方だけでなく、いろいろな方面からもっと興味・関心を持つよう心がけてください」と言われました。さーせん
「時として空想にふけることも必要です」
これ以上ですか。


こういうその人の真面目な考えって、そういうテンションじゃないときに急に読むと消化不良みたいになるよね。
コメディー見ようと映画館入ったら宗教映画見せられたようなかんじね。
さーせん。


なんでこんな余裕綽々なんだ。と同時に不安もそりゃあります。
あー・・・・・いろいろはっきりさせたいなぁ。しょぼん
けど不安は数え始めたらきりがないからね。
今しあわせなこともたくさんあるから、そっちの方が大事だね。

白い息を吐いて、星を暖めながら歩いた。




どうでもいいけどワンピースの新刊に出てくる、カポネギャングベッジの能力がめっちゃすき。
何の実だろうね。食べたい。


ゆりえへ
ふつうに見てるよ。
ダンス覚えたい!教えて!でもあの脚の動きがダサいところやりたくない。
グラフのカワイコちゃんを集めてみんなで踊るのが夢です。

2008/12/12

花が咲いたよ

授業の先生にチェックしてもらいながら話しているときに、
「少しきまりがあってその中で自由にやるのがすきです」ということを説明したら、
「やさしいSMみたいなもんか」と言われて
その瞬間はなに言ってんだと思って「え~!」とか言ってやりすごしたんですが、
帰りの電車の中でその言葉の正確さにびっくりした。

それだわ。

ちょっと束縛 とか。(紐はいらないよ)


よくMの友達が、がやさしいSの人がいいとか言ってるの聞いてなんだそりゃ??と思ってましたが、こういうことかなぁ。
違うか。


とりとめなくてすみません







来年も愛のある一年になりますように。
今年の残りもあったかく暮せますように。

2008/12/09

付き合ってるのに片思い

名曲すぎませんか。
http://jp.youtube.com/watch?v=f4-6MoWz9_o&feature=related

アイドルかわいい。頑張ってる女の子はみんな好き。顔が良ければなおよいし、踊りもできちゃうなんてそんなにできなくても。


あややの今の髪型かわいい。くるくるパーマ。僭越ながら2,3年前までの私の髪型と似てる。
髪型だけだよ!
今まだあの髪型だったらだまっててもエアあやや‥‥にはならない、か。
就活おわったらまたあれやりたいな。
テンションのあがり方がはんぱないんですよ。


ちなみに最近友だちになった人のために説明しておくと、わたしのあだなのアニーは、あの髪型からきてるんですよ。
今は影もかたちもありませんですが、こんな髪型だった時期もあるのよ。
タマグラ受かった瞬間にこれにしました。
もう少し正確に言うと、
高校3年のときの予備校時代、運命的に出会った友だちに「アニーみたいな髪型にしたいんだよね」と夢を語ったら「じゃ今日からアニーね!」と先にあだなをくれたんです。
いいやつだ

空を衣装に、大地を枕に

今月の暮らしの手帖の”暮らしの風景”というページが、散歩を通じて色んなことを語る人の話だったんだけど、よく読んだらそれがzuccaのデザイナーの人だった。
小野塚秋良さんという人。
これがもしデザイン雑誌やファッション雑誌だったら、デザイナーの名前よりブランド名が大きく印刷されて、『zuccaのヒットの秘密に迫る』とかそういう外側からのアプローチばっかりだと思うんだけど、
この特集はひとりの人をものすごく俯瞰して、まるでおとぎ話のように、すごく未来から話すように、特集されているのが印象的で凄く良かった。

どんなに今華やかな人でも、時間が過ぎたら、『あるところにひとりの服屋さんがおりました。』になるんだよ。
そうしたときに、ブランド名が通用しなくても、面白い話になるように、わたしは生きたいと思う。

というか今まさに、暮らしの手帖の記事では『小野塚さんは「zucca」というブランドのコレクションを20年間、パリで発表しているファッション・デザイナーだ。』
とこうなっているわけです。
「zucca」というブランド。だよ。あの有名なzuccaが共通認識なんかではないという澄んだ目が嬉しい。


ブランド哲学もいいけれど、でも毎回同じことを言わされるデザイナーも可哀相だし、私たちももうこれ以上他人の成功話を聞いたって他の人と同じことして成功できる時代じゃないんだから、もっと内側からの声にスポットを当てた記事をたくさん書いて欲しいなぁと思う。


以前編集をしている人と飲んだとき、本を出そうとする時、その決める基準は何なんですか?と聞いたら、”売れている『人』だね。”といっていた。
そういう現状を変えたいから、その人はフリーでやっていると言っていた。


これからは、一人一人との、一対一での対話が始まるんじゃないだろうか。最大公約数の情報はもう、誰にも届かなくなっているといったら言いすぎかな?
そういうことを広告計画でならっているけど。



この記事に小野塚さんの顔は一枚も載っていない。後姿や、靴だけだ。

Q 「上質さ」とはどんなものでしょうか?
A 静けさ。




暮らしの手帖賛歌はまだまだ書きたいんだけど、これからキセルを聞きながら甘いコーヒーを飲みに行きます。

2008/12/05

インド




つたえたいことが、たくさんあるのに。

2008/12/02

空と山

先生にメールして、認めるのと同時に自覚していた欠点を言葉で他人に表された。ら、なんかすごく動かなきゃ!って気持ちになった。
そして冬の夕方飛び出して、画材買って、なぜか服まで買って、もうすごいシャキシャキ歩いて帰ってきた。

ところでメールしたとたん、急に軽くなった。本当にびっくりするくらい。
わたしはきっとインプットに対して、アウトプットが足りなさすぎるんだな。
いくら良いものでも、循環しなきゃ採りすぎはからだに毒だものね!
溜めるより吐き出していった方がからだには絶対いい。たぶんこころにも。


うまくいかないこともあるけど、それがなんだー!
格好わるくても、強く優しく生きてゆこう。大切な物は絶対に守ろう。何が起こっても。

ドレミファー(音符の毛皮)

昨日届いた音楽


DEERHOOF Offend Maggie

これから聞きます。家族がこのジャケにびびってた。ごめん。


THE SEA AND CAKE Oui

友だちにおすすめられたので買ってみた。今聞いてる〜いいよ〜
でもこの音楽がその友だちに似てる気がして、聞いてるとたまにポンっと顔が浮かんできてなんかおもしろい
それにしても、なんていいバンド名なんだろう。というかバンド名が好きで買いました。
史上最高に好きかも。海とケーキ?! ううう・・・・・(愛の海で溺れる)


salyu MERKMAL

これはお父さんがかったやつ。何故?
でもお父さん小林武すきだからな。ちなみにお父さんの名前と漢字が違うだけでまるで同じ名前なので、一時期本気で疑った。
もしや・・・・お医者ミュージシャン・・・・?

スーパーカーでこんなジャケあったよね。

salyu実はいっかいも聞いたことない。友だちがリリィシュシュに熱狂していたときも、なぜかあの映画だけは見られなかった。
なんかこわい気がして!今見たら大丈夫かなぁ。でもみんなの前でオナニーさせられるとか、そんなの、あんまりだよ〜
とかそういう気持ちが先行していまだに手つかずです。




ランキングとか参加しちゃった・・・・・!
いまだに入ったことが恥ずかしいけど、まあいいか。やっぱり広い世界を知らないとね。うんうん。
よろしければ愛してくださいな。!

2008/12/01

メルメルメールメ

夢っていうのは、空にかがやく星のようなものなんじゃないか。


という考えがあって日記に書こうと何度も試みたんだけど、うまくいかないなぁ。

「うまくいかない」って口に出すのって、すごく勇気がいるね。
すぐ私は言霊とかそういうことを考えちゃうので、特にこうやって文字にするとき、ネガティブなことってかけない。でもそれでいいと思っている。し、間違ってないと思う。
空元気じゃなくて、悲しみとかつらさをないものとするんじゃなくて、側に置いたままで、それらがあることを視界に入れたままで、でも楽しいこととか明るいことの話をしたい。
たまにぐずる悲しみののどもとをなでてやりながら、瞳はまっすぐに前を見つめていたい。



あまやかすことと大事にすることは違う。
大事にするって、じっと見ることと似てるのかな?
いちばんの愛情表現は、そばにいることだと聞いたことがある。
この忙しい社会で、なにもなくても、ただそばにいるっていうのは実はとてもいちばん贅沢なことだと思う。
どんなに何もかもが進化しても、いちばん好きなのは人間のからだから生まれてくる、その人そのものだもの。
メールは笑ってくれないし、電話は手をつないでくれない。
それらや飛行機とかそういったものは、寂しがりやの人間をなぐさめるためにできただけであって、どんなに速い電車が毎分走ってたって、その人が乗っていなかったら何の意味もない。

だからいちばん大切なものの絶対量は、もう100年前も1億年後も決して変わらないんじゃないかな。
他のなにが増えたとしても、速くなったとしても。

いちばんつたえたいことは、まだ科学の力じゃつたえられない。



科学は人間のつらさや苦しみを軽減するために進歩したから、今の人間はつらさや苦しみがすこしでもあることは、いけないことだと思うらしい。確かに思う。
でも、人間としての根源的な苦しみは、永遠になくならない。人間である限り。
って話を読んで、うん、それもそうか、と思った。
やさしく強く。




友だちの日記の 薮からスティック という言葉に朝から爆笑した





以下 冬の切ない叫び

横トリ、友だちのブログ見たら、見てないやついっぱいあってGZ(愕然)です。
踊りがイッコも見られなかったのが残念!インスタレーションも、時間帯でやるやつはみれてないな〜
三渓園もいきたかった・・・・・

インスタレーションの魅力は「その場で起こっていること」に基づくので、インスタレーションを映像で見る不可思議さについていろいろと考えました。

そして大桟橋のあの有名なあの景色は、あの上のところにのぼらなきゃいけなかったのね。
やはりか。

生まれ変わったら踊る人になりたい。
踊れる人って無条件で尊敬する。自分のからだ一つでできることにとても興味があります。





このあいだ澤田先生ととても意義深い話をした。あの人と1年のときに出会っていたらどうだったろう。