2008/12/01

メルメルメールメ

夢っていうのは、空にかがやく星のようなものなんじゃないか。


という考えがあって日記に書こうと何度も試みたんだけど、うまくいかないなぁ。

「うまくいかない」って口に出すのって、すごく勇気がいるね。
すぐ私は言霊とかそういうことを考えちゃうので、特にこうやって文字にするとき、ネガティブなことってかけない。でもそれでいいと思っている。し、間違ってないと思う。
空元気じゃなくて、悲しみとかつらさをないものとするんじゃなくて、側に置いたままで、それらがあることを視界に入れたままで、でも楽しいこととか明るいことの話をしたい。
たまにぐずる悲しみののどもとをなでてやりながら、瞳はまっすぐに前を見つめていたい。



あまやかすことと大事にすることは違う。
大事にするって、じっと見ることと似てるのかな?
いちばんの愛情表現は、そばにいることだと聞いたことがある。
この忙しい社会で、なにもなくても、ただそばにいるっていうのは実はとてもいちばん贅沢なことだと思う。
どんなに何もかもが進化しても、いちばん好きなのは人間のからだから生まれてくる、その人そのものだもの。
メールは笑ってくれないし、電話は手をつないでくれない。
それらや飛行機とかそういったものは、寂しがりやの人間をなぐさめるためにできただけであって、どんなに速い電車が毎分走ってたって、その人が乗っていなかったら何の意味もない。

だからいちばん大切なものの絶対量は、もう100年前も1億年後も決して変わらないんじゃないかな。
他のなにが増えたとしても、速くなったとしても。

いちばんつたえたいことは、まだ科学の力じゃつたえられない。



科学は人間のつらさや苦しみを軽減するために進歩したから、今の人間はつらさや苦しみがすこしでもあることは、いけないことだと思うらしい。確かに思う。
でも、人間としての根源的な苦しみは、永遠になくならない。人間である限り。
って話を読んで、うん、それもそうか、と思った。
やさしく強く。




友だちの日記の 薮からスティック という言葉に朝から爆笑した





以下 冬の切ない叫び

横トリ、友だちのブログ見たら、見てないやついっぱいあってGZ(愕然)です。
踊りがイッコも見られなかったのが残念!インスタレーションも、時間帯でやるやつはみれてないな〜
三渓園もいきたかった・・・・・

インスタレーションの魅力は「その場で起こっていること」に基づくので、インスタレーションを映像で見る不可思議さについていろいろと考えました。

そして大桟橋のあの有名なあの景色は、あの上のところにのぼらなきゃいけなかったのね。
やはりか。

生まれ変わったら踊る人になりたい。
踊れる人って無条件で尊敬する。自分のからだ一つでできることにとても興味があります。





このあいだ澤田先生ととても意義深い話をした。あの人と1年のときに出会っていたらどうだったろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿