2009/04/29

両手に星

わたしがいちばんほしいものは、わたしがいちばん嫌なものを通り過ぎたその奥にあるのかもしれない。漠然とした言い方だけど。
汚くて臭くていやなものがいっぱい浮いてる水の中に手を突っ込んで、底にある宝石を拾うような。
そこまで嫌なことでもないけど。
けどあまり見ないようにしてることとか、そのシルエットが現れただけで耳をふさいで目を閉じてイヤイヤするような、うんざりすることの存在を認めることから始まることがあるんだな、という感じです。

いままでは我慢をしたり無理をしたりするのは、その場ではいいかもしれないけど、最終的にはいいことにつながらないとずっと思っていた。
けど、免罪符のためにする何も生み出さない我慢や無理と、なにかのためにする我慢や無理はもうまったく別物なのだなきっと。
そして後者の我慢や無理は、それは我慢や無理とは呼ばないのだな。


なんだかいやな言葉がたくさんならんだ日記になってしまったなぁ。ごめんね
以前友だちの明るいネガティブ日記というか、すべてをネタにしてしまえる心根のいい友だちの暴露日記みたいなのに憧れて、心情垂れ流しの日記を書いてみたとき、見事なまでにアクセス数が減ったのにすごく感心した。
やっぱりそのものが放つ気配みたいなのって伝わるんだろうなぁ。直接話そうが、パソコンだろうが。

なので最後に綺麗な言葉。


「美しいことが正しいこと。」
今読んでる山口瞳の礼儀作法の本の中から。
私がここのところ考えていることの答えがこの一言に。
礼儀という観点からの意見だけど、これはいろんなことに通じると思う。
もちろんこれだけがどんな場面でも当てはまるわけじゃないけど、今の私には大切な考え方ですわ。

2009/04/27

湯けむりプリーズ

スパいきたい。都会のいろんなお風呂がある温泉行きたい。グラフの女の子全員とかで行きたい
みんなでサウナとか入って入りすぎて頭痛くしたりしたい
脱衣所で扇風機浴びながらだらだらしたい
そのあとみんなで飲みにいきたい。やっぱビールでしょ。

そういうことしたい。今。


語尾に「にょ」を最初につけ始めたのって種村有菜かな。

2009/04/26

尾ひれにピアス(とかするのかな)

ガビガビだな

リトルマーメイドの最初の、お姉さんたちが唄って、クライマックスに貝を開けたらアリエルがいなかった!っていう地味なんだけどいいシーンが見たくてyoutubeで探したら結局途中まで見てpart of your worldで泣いた。
けど友だちはダンボ早送りして見ても泣いたって言ってたからみんなきっとそんなもんだよね。


もうお姫様とか天使とか人魚とか魔法とか、たぶん一生好きだわ。
中原淳一の「七人のお姫様」という絵本を持ってるんだけど全部読み直してしまった。


しかしお姫様でも天使でも人魚でもない私はやさしいこころのほかにポートフォリオも持っていないといけないのです。
現実現実。

しかしこないだ友だちに唐突に「ほんとうにかわいらしい顔してるね!天使とかになりそう」って言われて、即座に心の玉手箱のいちばん奥にしまった。死ぬほど嬉しかった。がんばろうとおもった。虚言症ではないです。
でも本物の天使はたぶんこういうこと自己申告しないね。
けどこんな素敵な褒め言葉一生に一度あるかないかくらいなので書いておく。



ダクトの人が、FINAL HOMEの話をしていて、「服を衣服というより道具としてとらえてるんだよね」と言っていたのがやけに心に響いた。かっこええ。
あと楽器もバイクもつくってるYAMAHAっていいなと思った。
手術台の上のミシンとこうもり傘の出会い並みのとりあわせじゃない?
楽器の方のYAMAHAに就職した人がいるって言ってたから「そうか楽器もプロダクトの人が作るのか…すごいなぁ」と言ったら、
なんでもプロダクトだから。と言っていてそれもすげえと思った。プロダクトデザイナーってじゃあ生きる神様じゃない。


追記
↑けど命だけはつくれない。

じゃあ命のあるものは神様がつくって、それ以外の物はプロダクトデザイナーがつくるってことか。
やっぱりすごいじゃん。

2009/04/22

あっおー

たまにいろんな人からひっきりなしに連絡が着たり、必要とされる日というのがある。
とてもしあわせ。
必要とされること以上のことができる人になりたい。まず自分のことをきちんとやりたい。
でも今気づいたけど、必要とされてすることを、自分のこととしてやればいいんだよな。
全部自分がすることは人のためでもあるし、また同じ分量だけ自分の人生のためでもあるもの。言葉にすると当たり前だけど。
最近”自制”ということの意味を知った。その大切さも。
こないだ友だちと討論した結果、自制心がないやつはモテない、という結論も出た。
うむ。


自分で自分の道を切り開いて、しかも最初の波にちゃんと乗れてる友だちがいて、その姿に嬉しくなる。
人生がすごく美しいものだと思える。自分に合った、かつ人のためになることをきちんとした目で選んだ人にはかならず大きな力が応援してくれるような気がする。
自分で歩ける、自分の足にしっくりくる道に立てた友だちが誇らしい。
しかもその道を選んでからの彼女は実はそんなに好きではなかった彼(!)と別れる準備をしたり、新しい恋が舞い込んできたりといろんな方面でイケイケみたいで、なんか、流れってすっごいなぁ〜と思う。
自分がうまくいく潮みたいなのってどっかに必ず存在するんだろうな。


尊敬する友だちたちが20年後に、今以上に愛してくれるような自分でいようとだけ思うなぁ。
ああ〜この熱をうまく使って前に行こう!

2009/04/20

タイトルをつけるのがへたなので常に混沌としている書類フォルダを見返していたら「知」というタイトルのテキストがあって、なんだそりゃと思って見たら


知恵はコート、知識はドレスのようなものだ


というまったく身に覚えのない、しかしちょうカッコいい言葉が記されていた。
あまりのダンディさに自分に腰が砕けた

バイQ

学生の分際でバイク便とかタクシーとか使うと、申し訳ありませんな気持ちになる。
必ずや社会に出て後世のお役に立ちますから…!と毎回思う。
しかしその一方でこの人だってこれが仕事なんだからとも思う。


最近のほっこり系がもてはやされる風潮は、一種のカウンターカルチャーなんじゃないかと思い始めた。
でもカルチャーっていうのはそれを牽引するヒーローとかカリスマがいて初めて名前が付けられて、歴史に刻まれるものなのだということに気づいた。
革命がなくなって久しい日本ですが、むしろ今のこの流れが、日々愛してる系(テキの友だちが命名)のカルチャーに見合った革命のされかたなのかも。ゆったり革命。

景気よく快楽が手に入らなくなってきて、スタイリッシュに疲れて、体がてざわりとか、てごたえとかを、毎日のひとつひとつのなかに欲しがったのかもね。



下の日記のねこちゃん写真、見る度になんかもやっとする。あれぜったいねこじゃなかった。
かわいいを装った何かだった。



シャワーを浴びるとき上を向いてると、波しぶきのあがる海の中を泳いでるような気持ちになる。

2009/04/19

後悔をしないための赤いスカート

涙じゃ何にも片付かない
焦らずに大きな答えを待つ
(MY LIFEより)

ってフィッシュマンズの佐藤君も言ってます。
だから。
べつに泣いてなかったけど、なぜか急にすごく「MY LIFE」の歌詞が耳からごくごくからだの中に入ってきた。


「奮い立ってるあなたのために
声を張り上げて唄うよ」


はじめて歌を聴いて”この人は掛け値なしにわたしのために唄ってくれている”と思った。

今読んでる高山なおみのエッセイに、フィッシュマンズの音楽と、佐藤君がよく出てくる。ファンだったみたい。

数年前に、新聞を読んでいたお父さんに、「フィッシュマンズっていうバンドのボーカルの人が交通事故で亡くなったらしいよ。知ってる?」と聞かれて、「名前だけ聞いたことある」といって階段を普通に上った。
フィッシュマンズってどんな音楽だろう?アナログフィッシュみたいなかんじかな?
としか思わなかったのに、今になって泣かされるなんて。
ぜんぜんアナログフィッシュみたいじゃなかったし。



今日散歩してたらとてつもなく撫でさせてくれるお猫様に会った。


ロックオン。

近づいたら練習したみたいな声で「ミャア〜オ」と鳴いて、塀から降りて、足下にすり寄ってきた。!!!
まぶしいっす
ああ…

猫ってこういういきものだっけ?

口元にピント。



10分くらい撫で回した後、じゃあねといって歩き出して、しばらくして振り返ったら、まだ最後の形のままで寝そべっていた。
もう一度振り返ったら、

見てるだけ。

次に振り返ったときには、もう人も猫もいなくなっていた。



ねこは太陽の温度を吸い込んであったかかった。
ちょっと手をとめて、離れるそぶりをするとばっと起き上がって「べつに飽きて寝てるわけじゃないよ?」って顔をするとこなんか、人間みたいだった。
中に人が入っていたのかな?



あーフィギアのエキシビションおもしろかった。
イギリスかっこよかった。

2009/04/16

君はシャイニング

i Tunes DJっておもしろいね。
いつでも 次何がくるのかな?!このわたしの少ない手持ちのなかで!とうっすら緊張しながらわくわくして聴ける。


気づかなかった、ちょっとまえのコメントをたてつづけに2つもみつけて、自分のなかの忘れていたドアを開けたらお宝がどっさり入っていたような気持ちです。ありがとう。
やっぱり人の温度を感じるものことがいちばんうれしいし、効き目があるね。


!!!!!
トクマルシューゴの直後に翔君の昭和セレクトのなかから激シブな曲が…!題名すらわからない。
ありなのかな。ありなきがしてきたよ。似た物すら感じ取ってしまいそうだよ。
このなんとなくで一筋縄じゃいかないあたりに人生の深みに通じることさえ感じます。

…しかもその後にThe sea and cakeです 夜はスリリング

2009/04/15

Fly me to the moon

木漏れ日は、プールの底に写る水面の揺れに似ているなぁと思った。空を見上げると、光が揺れて、口から漏れる息が泡になるようだった。
水の中の太陽。


さいきん消費が純粋にたのしめない。
消費したよりもっとおおくのことを生み出さなきゃ!と思って焦ってだばだばと家に帰る。
というかいい本とかいい服とかいいアイデアを見ると、「見てるより作りたい!もっといいやつを!」と思ってだばだばとする。

フーガ

診断 1

どちらかというと肌の色は黄いろいほうだ。 はい いいえ

よくスベる はい いいえ

見かけより、内面のほうに自信がある はい いいえ

高いところが好きだ はい いいえ

暑い地域で生まれた はい いいえ

仲間同士でつい集まってしまう はい いいえ

昔に比べて今の自分の方がやわらかくなったとおもう はい いいえ



診断 2

永作博美のような髪型だ はい いいえ

ベランダの窓全開で夜風を浴びながらビールを飲んだ はい いいえ

大島弓子と松浦弥太郎の本を一緒に買った はい いいえ

緑が目にしみた はい いいえ

パーマ液が首筋にしみてもじもじした はい いいえ

いいことを2つ思いついた はい いいえ

夕飯が麻婆豆腐だった はい いいえ

空豆を買おうと思ったらスーパーに売ってなかった はい いいえ

朝ご飯に、明太子スパゲッティを出来合いのソースをつかわずにつくった はい いいえ

人は美しいものをみただけでなぐさめられるということに気づいた はい いいえ

aikoと宇多田ヒカルとあゆの曲のなかでそれぞれトップ5を決めた はい いいえ

4か月ぶりに服を買った はい いいえ

靴下を六足いっぺんに買った はい いいえ

明日学校に行くのが楽しみだ はい いいえ

コルテオの”シャンデリア”の音楽が耳について離れない はい いいえ



診断1の結果
はいが7つの人→バナナに似てますね

はいが1〜6つの人→ちょっとバナナっぽいですね

はいが0の人→バナナが価値観の全てではありません


診断2の結果
はいが15この人→あなたは今日のわたしです。

はいが1〜14この人→わたしとあなたは別の人ですが、似たところがあります。素晴らしいことです。

はいが0この人→わたしはあなたのことがきっと好きです。

2009/04/14

盗んだ馬で走り出す

ひっさびさにすっげー

あ、あ、あったま に、煮立つんだなぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜!もぉぉぉぉ〜〜〜〜!!!

となって、すっげーイライラしながらマックのポテト食べた(うまい)
あとタジン鍋で蒸した野菜と鶏肉食べた(まじでうまい。フランスの塩(?)をつけて食べる。)

タジン鍋の蒸し料理簡単すぎて(らしい)これだけあれば自炊生活勝ったも同然だと思う。ジリツの際は買おう。


明日髪ばっさり切る。そんで服も買う。もーおしゃれじゃない自分に飽きた

ご近所物語の実果子が、つらいことがあるたんびにピアス開けたり髪キテレツな色に染めたりしてテンションあげる気持ちがものすんごいよくわかる。夜。
髪切って染めてパーマかけて服買って眼鏡買ってヘソピぐらいしたい気分です。ヘソピはやりすぎだ。
メラメラと。


すっげーとか言ってごめんあそばせ


なんか幸せぶってんのとか平気ぶってんのとかもーイヤーーーーー!!!ぐれてやる!
バカなのは〜私ひとりだということは〜わかってる〜

みんなこういう気分の時どうしてるんだろう。私は寝ます。
友だちがpicasaにわたしのかわいいおもいでしゃしんをアップしていたので載せる。オアフです。幸せそうだな〜わたし…肉くってる…

今だって、もし未来からみれたらめっちゃしあわせそうなんだろうな。


自分を変える必要は、どんな時だってないと基本的に思う。
自分で変わりたい、と思ったら変わってもいいけど、あの人とうまくいかないから、とか人にこう思われてるだろうから…とか、人との摩擦を理由に変えるのはやめたほうがいいとおもう。
人間関係がうまくいかないときっていうのは、相手の出方に対してのこっちのアピールの仕方とかとか力の入れ方とかいい表現方法を知らないだけであって、自分の性格をくせ者の悪者にしたらだめだとおもう。
そうしそうなひとがいたらぜひしないでください。とわたしはおもう。
わたしはけっこうそれでこの2年間くらい苦しんだので(なんかうざい発言)、でも今けっこう変わってしまってから思うと当時の「変わらなきゃ」と必死だった私は最高にすてきだったので。変わった後だからいいところだけ覚えてて、言えるのかもしれないけど。
そのままの自分でいながらがんばることのほうがもしかしたらずっと大変かもしれないけど。
でも。向田邦子も同じようなこと言ってた。短所は長所とつながるものだから、自分のなかの嫌な性分と最後まで付き合ってゆこうときめたらしいよ。


なにがいいたいのか
わからなく なって  きた    よ



短所になって出てくるくらいアツい情熱を持った自分の特性は、意思ぐらいじゃ変えられない、ということです。
表面上はしばらく顔を出さなかったとしても、ココいちばんのところで何年ぶりかにそういう自分がずるずると出てきたりする。そしてびっくりする。なんとなくうれしい。かもよ。

2009/04/12

36度2分の気温

街を歩きながら、目に映る人ひとりひとりを
「まさにその人が、後に私の人生の師匠となる人物だった」
となる想像をしながら歩くと、どんなおばさんでもおじさんでも冴えないお姉さんでも、底知れぬ魅力を持っているような気がしてきて楽しい

そしてどんな人でもみんな、私にできないことができる人なんだなということに遅まきながら気づく。


大好きな夏が来るなぁ。
HIFANA聞いたり宇多田ヒカルのDistance聞いたり。

今が未来だ

 自然が休養をする、とわたしたちは言う。そのじつ、自然は死にものぐるいで突貫しているのだ。ただ、自然は、店を閉めて鎧戸をおろしただけなのだ。しかし、そのなかでは、新たに仕入れた商品の荷をほどいて、抽斗ははちきれそうにいっぱいになっている。これこそほんとうの春だ。今のうちに支度をしておかないと、春になっても支度はできない。未来は私たちの前にあるのではなく、もうここにあるのだ。未来は芽の姿で、わたしたちといっしょにいる。いま、わたしたちといっしょにいないものは、将来もいない。芽が私たちに見えないのは、土の下にあるからだ。未来がわたしたちに見えないのは、いっしょにいるからだ。

(カレル・チャペック 園芸家12か月「11月の園芸家」より抜粋)

下↓の日記と一緒に載せようと思ってたんだけど、長かったので削った文章。やっぱり載せる。
下の日記の文章の、直前にくる文章です↑
今のわたしたちの現状も、こういうことだとおもうんですよ。
来年の春にほんとうの春を迎えるための秋なのだ。人生的な意味で。
どんなことにも言えると思う。今が未来だし、人生はおもっているよりも短い。
時間は無限にはない。わたしも最近気づいたけど、だから意外とやりたくないことやってる時間はなくて、ほんとうにやりたいことだけやって十分なくらいの長さだと思う。まじで。

2009/04/11

Now is the future

 カレル・チャペック/園芸家12か月 「11月の園芸家」より以下抜粋


 ときどきわたしたちは、水気のなくなった、いろんな過去の思い出につつまれて、すえた匂いをはなっているように思われることがある。わたしたちが現在と呼ぶ古い作り土のなかに、どんなにたくさんの太った白い芽がぐんぐん伸びているか、どんなにたくさんの種がこっそり芽を吹き、どんなにたくさんの古い挿木苗が、いつかはかがやかしい生命に燃え上がる一つの芽となって、生きているか、もしわたしたちがそれを見ることができたとしたら、秘められた将来の繁栄をわたしたちのなかにながめることができたとしたら、おそらくわたしたちは言うだろう。—————おれたちのさびしさや、おれたちのうたがいなんてものは、まったくナンセンスだ。いちばん肝心なのは生きた人間であるということ、つまり育つ人間であるということだ、と。




今日の午後、ベランダのドアを開けて、風が入ってくるのをほっぺたで感じながら天井にカーテンが揺れるごとにいろんな色が反射して踊るのを眺めて、
「いつだって成長していたいな。うじうじしてるひまがあったら、その間にどんどん楽しい方に、前に進むのを、死ぬまでやめたくないな。」と考えていたので、その帰り道に読んだ上の文章がしみじみ染み入った。

今は幸田文の「木」という本を読んでる。
草木つづきの読書に、私の小さな林もどんどん豊かになっていくようです。

2009/04/10

撮りたいのは『大事なもの』。知りたいのは『本当の気持ち』(若木信吾)

こないだ村上隆を初めて生で見た。
あの人がなにかに笑ったりおもしろがったりすると、ぞくっとするほど嬉しいと思った。


生きている人の強さについて最近すごくよく考える。
目に見えない物の大きさも。



ところでSPECIAL OTHERSの新譜に「Potato」という曲があるんですが、いちばん最初に聞いた時、人の家でベッドにねっころがっていて題名も何も知らずに聞いていたら、いきなりマクドナルドのポテトが揚げ終わったアラーム音(テレテッテレテッテレテッってやつ)とそっくりなコードのイントロが流れてきて、びっくりして「マクドナルドに行き過ぎて知らず知らずのうちに深層心理に刻み込まれてこうして作品にまで現れちゃったのか…?!恐るべし!マック!」とひとりでびびってたら、「Potato」ってふつうに確信犯的音楽でした。よかった。けど聞いてるとポテトに四方を取り囲まれてるような気分になってウワァアアってなる

2009/04/06

プッチンプリンて名前にしちゃうのも天才的だな

ちなみに今日は、夕方友だちと少し会って展示の打ち合わせをして、帰ってきてすきやきを食べた。
あと、ひさしぶりにプリンをお皿にプッチンして食べた。
プッチンすると、しないときとは味は厳密に思い出してみると全く一緒なんだけど、目が楽しいのでなんとなく幸せ度が増して食べられる。

スーツを着たことがない絵描きはいっぱいいる気がするな

トップ絵を変えてみた。
これをアニメーションにしたかったんだけど、こういう小さい思いつきは、イラストだとさっと表現できて楽しい。


就職活動でいちばんいやなのは、あのわけのわからないスーツを着ることです。
相手の目にきちんと映る自分、フォーマルな印象を与えるのは大切だと思うんだけど、いまいちなスーツと靴と鞄でちょっとテンション下がった私はたぶんそんなに魅力的に見えない気がする。
だだこねててもしょうがないんだけどさ。
どこにいようとどんな恰好をさせられようとも最大限の自分を発揮できる格調高い人になる訓練なのだと思ってがんばるしかありません。
自分がしたくないことをしてるときとか、来たくない物を着てるときって自分の人生の時間にカウントされないからもったいないよね。
気持ちの持ちようです。


みんなが言う個性というのは大抵が単なる手癖であって、本来恥ずべき物だと誰かえらい人が言っていたのを読んで、あーそうかもね、と思ったのですが、私の手癖は私が”まぁまぁ好き”くらいに思っている路線に自然になってしまう。ので、いつも自分が描いた物を見てびっくりする。
手で書くと、余計そうなって、ええ〜と思う。なんか思ってるよりすごくあっさりする。
絵を本気で描く人は、ここから自分の理想に少しでも近づくように研磨してゆくんだね。
最近”絵かけない”と言わないことにしました。べつに下手なだけであって手があるんだから描けるんだよね。
そういうふうになにかから逃げるのってもったいなかったなぁと思った。
自分が傷つくことを怖がらないで、自分の心が向かう方に動いたら、絶対素敵なことが待ってると信じてる。

2009/04/03

ブドウ色の空

”ワイン”と聞くより、”ぶどう酒”と聞いた方が断然おいしそうに思うのは私だけなのだろうか。
本で”パンとぶどう酒”とか書かれているといいいなぁ、飲んでみたいなぁと思うんだけれど、それがワインのことだと思うと別に何とも思わなくなってしまう。
でもお店で”ぶどう酒を”とか言ったらばかかと思われるだけなのでがまんして”赤ワインを”って言いながら、脳内で”これはぶどう酒なのだぞ”と一生懸命変換する。という場面を想像してみた。
なぜこんな時間にそんな詳細な想像をしなきゃいけないのかはよくわからない。
今読んでる本にぶどう酒がよくでてくるからです。

とにかく、自分の世界のイメージは大事にするべきだと思う。

雑記

こないだスプリングピクニックパーティ(花見)の後にお酒飲んでその後さらに終電前にお茶してたときに、「牧師の嫁になったら」という話をしたのを今思い出して思い出し笑いした。
ちなみに私は牧師の嫁にはあまり向いていないという結論になった。



”マンゴー通り、ときどきさよなら”という本を今読み終わったんだけど、想像より全然子ども向けの本だった。題名の良さとあらすじに血が騒ぐほど届くのを楽しみにしていたので、拍子抜けしました。しかし空気感がいい。