たくさんつくらないと、人の目にとまらないし自分の考えなんかわかってなんかもらえないよって、教授が授業で言っていた。
でもよく考えたらファッションデザイナーなんて、一年間に2回コレクションの発表があって、例えば今年のS/Sは雨!とかコンセプトを決めたら、それに沿ったスカートからトップスから靴下からバッグ靴帽子巻き物アクセサリーパンツ、メンズもあったらまたパンツシャツソックス帽子鞄巻物靴………ってガーッと作るわけでしょう?半年間で。
デザインあがったら工場に出してチェックしてショーの魅せ方考えてモデル決めて曲決めて完成したらきっともう今度はA/Wの準備でしょう?
ずーっと自分の哲学をブランドという形で持ち続けていく中で、毎シーズン、以前よりさらに新鮮な角度から世の中に提示し続けていくというのは、消費者の気分でいる限りは全然気にならなかったけど、同じ表現者としてかんがえてみるとものすごいことだよね。
今日、渋谷西武のY'sの店内で、「これ全部、人が何かを伝えたくて考えて作ったものなんだ…そしてこれはたった半年間で消費されてもう数週間後にはあたらしいビジョンが提示されるんだ…」ということに初めて思い当たって、なんか呆然とした。
しかもそれをもうずっと何年も、同じ信念を持って続けているんだ…ってことですよ。
こわい。
YAB-YUMのデザイナーの言葉
「昔から、価値のあるものを残していくという感覚が日本にはあったと思うけど、YAB-YUMを始めた94年頃は流行の移り変わりが激しすぎたと思う。
そんな時代だったけど、僕の好きなテイストは基本的に変わらないから、作品には“YAB-YUMっぽさ”がいつも残っていた。
でも世の中に、その“YAB-YAMっぽさ”に似たものがだんだん増えてきて、自分が好きなテイストのはずなのに、ほかの人が作っている“ぽい”ものを見ると不思議と嫌な気持ちになることがあった。
だから、“YAB-YUMっぽい”テイストを捨てて、新しいことに挑戦したりしたけど、“ぽい”ものの方がジャーナリストの評判がよかったりして……。
核の部分を残していくことは大切だけど、1つの世界にハマりすぎるのはクリエイティブなことじゃないと思います。」
画家のデ・キリコは晩年、「自分の模倣をした」画家だと笑われたそうですが、そんなキリコのことを全然笑えない。
過去の自分の模倣の作品だけは、いつまでたっても作りたくないなと(こんなぺーぺーのわたしですが、だからこそ)思う傍ら、そのキリコの気持ちの弱い流れのようなものが本当におこがましいけどでもその片鱗みたいなものは、わかる気がする。
「これやったら多分まぁ褒められはするだろうな・・・」みたいなことってあるけど、それをやったらもうダメになる気がする。絶対。
だから自分のスタイルを持ち続けることって、すごく大変なんじゃないかなと、自分のスタイルがない私は推測します。
奈良美智さんもそんなこと言ってた。
「みんなが欲しい絵はどんなものかわかってるけど、自分の中で少しでも前の作品を越えないと作っていく意味はないから」というようなこと。
自分との戦いなんですね、みんな。
多分そっちの方が長い戦いなんじゃないかなぁ。外の世界と戦うよりも。
でも本当に大事なものや価値あるものは、往々にして手間がかかるものなんですね、きっと。
全体的にえらそうですみません
私は卒業までにビジュアルコミュニケーションを死ぬほど勉強した方がいいと思います。
自分の哲学とうまいこと重ね合わせながら。
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