わたしがいちばんほしいものは、わたしがいちばん嫌なものを通り過ぎたその奥にあるのかもしれない。漠然とした言い方だけど。
汚くて臭くていやなものがいっぱい浮いてる水の中に手を突っ込んで、底にある宝石を拾うような。
そこまで嫌なことでもないけど。
けどあまり見ないようにしてることとか、そのシルエットが現れただけで耳をふさいで目を閉じてイヤイヤするような、うんざりすることの存在を認めることから始まることがあるんだな、という感じです。
いままでは我慢をしたり無理をしたりするのは、その場ではいいかもしれないけど、最終的にはいいことにつながらないとずっと思っていた。
けど、免罪符のためにする何も生み出さない我慢や無理と、なにかのためにする我慢や無理はもうまったく別物なのだなきっと。
そして後者の我慢や無理は、それは我慢や無理とは呼ばないのだな。
なんだかいやな言葉がたくさんならんだ日記になってしまったなぁ。ごめんね
以前友だちの明るいネガティブ日記というか、すべてをネタにしてしまえる心根のいい友だちの暴露日記みたいなのに憧れて、心情垂れ流しの日記を書いてみたとき、見事なまでにアクセス数が減ったのにすごく感心した。
やっぱりそのものが放つ気配みたいなのって伝わるんだろうなぁ。直接話そうが、パソコンだろうが。
なので最後に綺麗な言葉。
「美しいことが正しいこと。」
今読んでる山口瞳の礼儀作法の本の中から。
私がここのところ考えていることの答えがこの一言に。
礼儀という観点からの意見だけど、これはいろんなことに通じると思う。
もちろんこれだけがどんな場面でも当てはまるわけじゃないけど、今の私には大切な考え方ですわ。
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