”ワイン”と聞くより、”ぶどう酒”と聞いた方が断然おいしそうに思うのは私だけなのだろうか。
本で”パンとぶどう酒”とか書かれているといいいなぁ、飲んでみたいなぁと思うんだけれど、それがワインのことだと思うと別に何とも思わなくなってしまう。
でもお店で”ぶどう酒を”とか言ったらばかかと思われるだけなのでがまんして”赤ワインを”って言いながら、脳内で”これはぶどう酒なのだぞ”と一生懸命変換する。という場面を想像してみた。
なぜこんな時間にそんな詳細な想像をしなきゃいけないのかはよくわからない。
今読んでる本にぶどう酒がよくでてくるからです。
とにかく、自分の世界のイメージは大事にするべきだと思う。
中高キリスト教だったんだけど、
返信削除聖書にぶどう酒めっちゃ出てくるよ。その度うまそうだな〜!って思ってたわ。あとパンのことマナっていうんだよね。これも食べてみたい。
キリストは水をぶどう酒に変えたりちょっとしかないパンや魚をむっちゃたくさんの数に増やしたりなにかと食欲をそそるストーリーが多いよ。
ぶどう酒、キリストの血だもんね。
返信削除今も昔もご飯の描写がおいしそうな話とか、食にまつわるエピソードに目がない。
小学校の時初めて作った絵本はなんかお菓子屋さんが舞台でやたら「あめを3個、がむを5個、グミを20個買いました」みたいなくだりが多かったことを今思い出した。単なる食いしん坊。
その絵本素晴らしそう!
返信削除グミ、ダントツだ!