2009/04/11

Now is the future

 カレル・チャペック/園芸家12か月 「11月の園芸家」より以下抜粋


 ときどきわたしたちは、水気のなくなった、いろんな過去の思い出につつまれて、すえた匂いをはなっているように思われることがある。わたしたちが現在と呼ぶ古い作り土のなかに、どんなにたくさんの太った白い芽がぐんぐん伸びているか、どんなにたくさんの種がこっそり芽を吹き、どんなにたくさんの古い挿木苗が、いつかはかがやかしい生命に燃え上がる一つの芽となって、生きているか、もしわたしたちがそれを見ることができたとしたら、秘められた将来の繁栄をわたしたちのなかにながめることができたとしたら、おそらくわたしたちは言うだろう。—————おれたちのさびしさや、おれたちのうたがいなんてものは、まったくナンセンスだ。いちばん肝心なのは生きた人間であるということ、つまり育つ人間であるということだ、と。




今日の午後、ベランダのドアを開けて、風が入ってくるのをほっぺたで感じながら天井にカーテンが揺れるごとにいろんな色が反射して踊るのを眺めて、
「いつだって成長していたいな。うじうじしてるひまがあったら、その間にどんどん楽しい方に、前に進むのを、死ぬまでやめたくないな。」と考えていたので、その帰り道に読んだ上の文章がしみじみ染み入った。

今は幸田文の「木」という本を読んでる。
草木つづきの読書に、私の小さな林もどんどん豊かになっていくようです。

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