2009/02/22

長いんだけど本気で思うこと

”物を書きたい”という欲求と、”書いた物を認めてほしい”と思う欲求は、それぞれもう全く別のものなんだということに気づいた。
物書きは、本来物を書くという純粋な”行為”ですでに満たされるべきだ、と町田康が言っていて、けっこう前に読んでなるほどと思ってでもすぐ忘れていたんだけれど、すぐ”あの雑誌に連載できるようになりてぇ”とかポーっと思ってしまうのは、結局やりたいことをビジネスや、お金や、名声に無意識に置き換えていたのかなぁ。
べつにそれが悪いことだという結論には全くならないのですが、でも確かに、日々ある思いつきや考えの中で”これはブログに書くにはもったいないな”と思ってひそかにしまってあるネタ(本当に素晴らしいかどうかはさておき)は結構あって、それはやっぱり情報の発表の場に、貴賎のレベルを勝手につけていたんだなぁとは思った。

でも正直webという場所を信頼してないのは確かで、バカみたいに感じるかもしれませんが私は自分の書く物にそれなりのプライドや自信や哲学は持ち合わせているので、自分の書く物はちゃんと”私が書いた”ということで認知されたいと普通に思う。
でもまあ文章なんて水物なので、わたしだって誰の影響も受けずに書くわけじゃないし、書くことは私の精神世界以外の外の世界のことも書くし、むしろ私自身のことについて書いたって、それはあらゆる状況から影響されて私が形成されるわけだし、そうなったらもうこれがいったい誰のものなのかっていうのはすごく曖昧なんだけど、でも”これがなにかに結びついたらいいなぁ”と期待していたのは確かだわ。
でもそれって、ある程度周りから褒められて、自分でもちょっと自信を持ってる分野を持つ人だったら、誰でも思うことだと思うけど。

けど、それを認識したのは初めてだったので、書いておく。
今日もコンビニでめちゃくちゃ憂鬱なかんじの店員さんがゆっくりゆっくりレジを打っていて、3人くらい後ろに並んでいて、普段は「世間は早すぎるのら〜ゆっくり生きたいのら〜ピース」とか言ってるわたしなのに、イラっとしちゃったもんね。
結局自分の都合のいいように言ってるなんちゃってのんびりなだけなんだなぁと思ってしまった。認識の日。


でも、言葉でならなんとでも言えるとは、わたしは絶対に思わない。それは、そうやって言葉を軽く使う人がいるからそうなるのであって、真剣に何かを表現しようと思ったら、言葉も、絵画も、映像も、音楽も、しぐさひとつだって、決して嘘はつけない。
その表現方法にどれだけ真摯に向き合うかという問題だと思う。それを言葉というひとつの方法のせいにしないでほしいと思う。
しかしまぁ、言葉がだまくらかしやすい伝達手段だというのは思う。
言いたいことに対して本物の言葉を紡いでいくのって疲れるし、いくらでも途中でうやむやにできちゃう。
けどそうしない生き方はいくらだってできるし、私はそれを探りながらいきたい。



最初の話に戻るけど、そう、けどね、物を書くことに真摯にいて、それ自体に喜びを感じるならば、どこに掲載されようと、それが私の日記やブログだろうと、私の気分や姿勢は変わる物であってはいけないと思ったの。
そして、世界の隅っこでも、本当のことを言い続けていれば、きっと何かに繋がるんじゃないかなぁ。


わたしがしたいことはね、広告だろうと文章だろうと、どんな表現方法に落ち着こうと、暗いニュースに対抗することを発信していくことなんですね。
あるユニセフの人が言っていたすごく心に残った話で、どこかの国で「今年は一人も飢餓で死ぬ児童を出さなかった」という年があったんだって。でもそれはニュースにならないんだって。それは、死なないのはあたりまえのことだから。
だからそういう考えで行くと、新聞に暗いニュースばかり、というのは当然のことで、それが”当たり前じゃないことだから”怖いニュースや暗いニュースがじゃんじゃん流される。
でも、そういう情報に囲まれていると、どんどんそれが普通のことなんじゃないか、って思えてきちゃうと思うんだよね。
”自分が今能天気に幸せなだけで、本当は社会は暗くて怖いことだらけなんじゃないか”って。
それだけの影響力も、影響させるだけ民間人に密着できるメディアもあるからね。

だからそういう暗いニュースに対抗する力が絶対にどこかで必要だと思っていて、それがきっと広告とか、音楽とか、小説とか、芸術とかの力だと思うんだよね。
やっぱり生きるのは楽しくて、難しいけどでもすごく綺麗な瞬間もあるんだっていうことを、発信する人がいないと、世の中はほんとうに哀しくなってしまうと思う。
だから認められようと認められまいと、ひとりでも誰かが読んでくれる限り、綺麗なこと、楽しいこと、明るいことをもっともっと発信していきます。
そう思って、これからいっそう真剣にやろうと思いました。
どんなことでも、小さなこと、私にとって息をするようなささいなことほど、自分のすぐそばにある物ほど、大切にしようと心から思った。


なんだか熱い文章になってしまった。
もうこれでおしまいです。読んでくれてどうもありがとう。

2 件のコメント:

  1. 読み終えた時
    バランスのとれた体に良い食事をきちんとたべたような満足感がありました。
    ごちそうさまでした。とてもおいしかったです。

    世に出たアニタソのお仕事がはやくみたいです。待ち遠しいわぁ〜〜

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  2. すっごく嬉しいです。お粗末様でした。

    ね〜これを世に出て続けられるかが勝負だよね〜〜ひゃ〜世に出なきゃ!がんばるんば!

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