昨日と今日のさっきの日記がなんだか上手く書けなくて、なんでだろう、目を使う仕事ばっかりしてると言葉が奥の方に行っちゃうのかなぁと思ってたんですが、
さっきの夕方二日ぶりに外に出たら、あんまりにも世界が水色にかがやいていて、心がうーんと伸びをするようでした。
ビジュアルで生きていないなんてやっぱり嘘で、目から栄養を補給しないと私はものが書けない。
ビジュアルに興味がないんじゃなくて、ビジュアルに落とし込むことに興味が薄いんだな。
わたしが文章を書くのは私が文筆に秀でているからではなくて、世界があまりにも、あなたに伝えたいことで溢れているからなんだということにも気づいた。
家にこもっていていいことはほぼ0だな!作業は進むけどね。ロボットになりそうになるね。
そして友だちに会って、思いついたアイデアを話した帰り道、ふと、ものすごく不安な気持ちになりました。何だろうと思ったら、それは
好きな人のいいところを友だちに話した帰り道、ふと、その友だちが好きな人を好きになってしまうんじゃないだろうかと不安になるような
この恋は実る。と自分に思い込ませていても、頭のどこかで、ずっとこのまま、この熱い気持ちを抱えたままどこまでも歩いていきたいと思うような
そんな恋の初期症状によく似ていた。あたしが…デザインを…好き?!
なんだか周りの人からの愛を強く感じるこのごろです。
〜今日のドキドキのコーナー〜
自由が丘のビレバンで”こねこのピッチ”という絵本のアニメーションが流れていて、何となく見ていたらね、
「うさぎたちが濡れたピッチのひげに鼻をこすりつけました」
ていうシーンで、かわいいなあと思っていたら次の瞬間、
「うれしさのあまり、ピッチはじっとしていました」
って!!!打ちのめされた!!!!
すごい!
ふつううれしさのあまり…って来たら、からだをふるわせました、とか、目を閉じました、とか、なにかアクションを起こすよね。特に絵本とかわかりやすい筋の話だったら。
けど、ピッチは「じっとしていた」んだよ〜
そうだよね、嬉しいときって、嬉しいことされたときって、その空気を少しでもうごかしたくなくてずっとその時が続くように、次の動作に導かないように、否定ととられる可能性のある動きをすこしでもしないように、じっとしちゃうよね〜
なんかはっとした。
絵本とかでも、どんなときでも、流れのまま勢いのまま書かないで、いつも立ち止まって実感だけを書かなくちゃ。
「こうすればこうなる」のステレオタイプをなぞった創造は、ガイドブックに載ってるコースを丹念になぞる旅行のようなものだわ。
なんの知恵も偶然もひらめきもないもの。
すごいなぁ〜ぴっち…本当のことを気づかせてくれてありがとうぴっち…
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