2008/04/18

京都行きたい いますぐに

良い本とか素晴らしい教授の話を聞いて、ティンカーベルの魔法の粉のようなものをかけられたような気になってちゃいかんなぁと思う。
教授や著名人が素晴らしいゆえんは、その人が一人の人間であるというところにあると思う。んだ。
こないだはじめて、「教授も疲れたり授業出んのだりーとか思ってるのかも・・・!でもがんばってきてるんだ!大人だから!」ということにはっと思い当たって、なんだか私の人生の永遠のテーマである学校嫌いのとげが少しやわらいだ気がした。
大学は特にそうなんだけど、学校という機構のその揺るぎなさ、確実さは私を不安にさせるものだったのですが、その中で動く人々はすべてが人で、身体のほとんどが水でできたゆらいでいる生き物なんだ、みんな・・・・とまぁべつにそこまで考えてないけど、でも教授も人間なんだ、って思うことだよね。まず。
人生を積み重ねて、その人の口から出る言葉は私たちが今日常で話す言葉の延長線上にあるわけで。
そこがすごいんだ。会議やプレゼンや授業の時だけスイッチがONになるデザインマシーンではない、ということ。
疲れたり悲しくなったり、人生に喜びを見出したりを”いまだに”してるんだということ。
彼らも、人生の途中なのだということ。
個人的にわりと大きな発見。射程距離は定まった。


あはん


個人的な資産・・・例えば思想とか、見つけた良いものとか、そういうのを他人に”惜しみなく”与えられる人になりたいと心から思った。そんなものないんだけど、でも自分が大切にしていること、はあるから。まだまだ上があるよってことを、ポジティブに実感しながら毎日を生きたい。そうしたら貧相な宝箱にしがみつくこともなくなるだろうから。そんな今日でした。天気は飴。
打算とかいらないよ 全部循環させてきたいよ


美大生ブログランキングを見てたらみんなわりと笑いを目指してて、そういうの見るとこういう日記書いてるじぶんに心底うんざりする。うんざり。うんざり、ってなんだろう。

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