2009/01/31

王様の耳はロバの耳ー

なんかね、文章で物事を考えているとね、
どうでもいいことにまで理由とか意味とかを見いだすようになっちゃってそれって良くないんじゃないかと思うんだ。

たとえばたった今の出来事なんですけど、チョコレートのパッケージを開けるのに、白いビニール袋に薄い灰色で手の絵が書いてあって、ここからあけてください、っていうガイドになってたのね。
でもわたしはそれがただのビニールのひび割れに見えて、ぜんぜん関係ない上のほうからばりっと開けて、2口ぐらい食べてからその絵に気づいたの。

で、そのチョコレートがフェアトレードチョコレートとかいって、パッケージも綺麗で、ちょっと高級で知的な感じのチョコだったのね。

それもあって、その制作者のやさしい心遣いに気づけなかった私はすごく無神経な人間なんじゃないかとか思い始めちゃうわけ。
「この一連の出来事は、私の周りの人のささいな親切に対する恩知らずさとかを表しているんじゃなかろうか」みたいなね。

それってでも、なんか行き過ぎると自分で自分の首を絞めにかかるような人になっちゃう気がして、よくないと思ったんだよね。今。
どうなんでしょう。



人はビジュアルで生きる生き物らしい。
でも私は多分確実に言葉の海で泳いでいて、目に見えることにそんなに興味がない。
美大にきたことが自体が物見遊山だったけど、むしろもう目に見えることすべてが、物見遊山な感覚。

目で見たことは、例えばマスコミから発信されるニュースみたいなもので、それをまるごとうのみにすることなんてまずありえないっしょ、という姿勢で、そこから何を拾うかが、私という人間の勝負な気が する


します。



最近の気持ちは、前にも一度体験したことある、と思ってじっと考えてたら、
高2の冬に、いまから美大受験に切り替えようか、どうしようか、と幽霊のように悩み続けているときの気持ちの端っこのようなものがまた目の前にひらひらっと現れたということに気づいた。

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