睡蓮の花が五感的にうつくしいのは、たぶん名前が眠たげだから。
花は眠らない。
けど眠っている花はきっとうつくしいだろうな。
眠っている女が美しいのと同じように。
ある実験で、病気で入院している患者を2つのグループにわけて、
一つのグループには、あらゆる宗教の信者に、病気が治るように祈ってもらった。
もう一つのグループにはなにもしなかった。
すると、祈ってもらったグループは、みんなすっかり治ってしまったんだって。
本当の話。
帰りの電車の中でこの話を思い出して、ふと、自分以外のひとのために熱心に祈る、顔を黒い布で覆った女の人、膝をついて目をつぶって、顔の前で手を組んで、じっと祈る人々の姿を想像したら、なんだか泣けてきた。
現世は現実を交換することで成り立っているから、想念だけじゃ物事は動かない。けど、想いを本当に信じて大切にする気持ちは、忘れたくないと思う。その気持ちを信じていたい。
(ここまで書いて唐突に、小学校の時、毎日の授業のあとの帰りの会で、毎日ひとりに、”努力賞”というのをあげていたことを思い出した。
推薦で、今日なにか頑張っていた友だちのことを誰かが話して、”誰々さんに努力賞をあげたいと思います”って毎日だれかが手を挙げて言うの。
で、日直が”誰々さんが努力賞でいいですか?”ってクラス中に聞いて、みんなで声をそろえて”いいです”って言ってた。ずっと忘れてたけど。
その努力賞っていうのが銀色のメダルで、それを、玄関の靴箱とかが並んでるところの壁側にある大きなオルゴールに入れると、曲が聞けるんだったんだ。
毎月かなんかで曲がかわって、努力賞をもらった日は友だちと一緒にそのオルゴールを立ったまま聞いていた。
あれはすごくいい思い出だな。
その情景も詩的だし、毎日のささいな小さな努力でメダルをもらって、それをオルゴールに入れて曲が聴けるなんて、いいじゃない。
今思うと、そういう叙情的な感性がけっこうある学校だった気もする。影響受けたのかな。
でもそれも何度ももらうとただのルーティンになるわけで、そんな毎回ばか正直に聞いてるはずもなく、最後の方は、メダルをいれて、そのまま帰ったりしていた気がする。
玄関ホールに、オルゴールの音だけが残された。)
暗やみの中で見る白い花は、なんとなく「祈り」に似ていた。
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