2009/06/21

過去に書いたけどアップしなかった日記たち

日記って「その人がそのときに考えてること」ということが大事なのだと思うけど、昔書いた不採用日記を読み返すと、
普段私は記憶に関して、残るべきものは勝手にわたしのどこかに残っていくだろうという弱肉強食方式を採用してるので自分でも忘れていた感情とかに意外と新鮮な気持ちになったので、私以外の人がどういう気分になるかまったく予想がつかないのですがアップしてみる。
けど何でもかんでも言葉にしたりするのは粋じゃないとも思います。



学校に毎日行きたい。こんなにいい季節だしね。
もっと学校が近くにあればいいのにな〜と思いますが、みうらじゅんが
「学校が近くにあるからちゃんと行くなんて、すぐやらせてくれるから付き合うみたいなもんですよ」と言っていて腑に落ちたのでわがままいいません。
そうだよね〜。好きなら、行きたいなら何が何でも行くよね。

ぎりぎりにやる病は父親からの遺伝だということが最近判明した。
お父さんがよく ああ〜明日までに書類作らないと〜半年前から言われてたのに〜 とか言ってるのを聞くと わたしも大人になってもああなんだろうな…と若干暗澹とした気持ちになります。
ついさっきも食卓で、明日一日で原稿仕上げなきゃ…カツカツだよ と言ってて
わたしも明日一日で明後日提出の課題を仕上げなきゃ…カツカツだよ とは言えませんでした。


さいきん「最後の夏休み」というフレーズが頭から離れない。
こんなに自由な時間、あと来年の3月までしかないなんて!
なんだか最近、「ONとOFF」を意識的に区別できるようになった。
何にもしない時間って大事だね。
でももっといろんなひととしゃべったりしたい。
夏休みだもの
(5/16)


今日はスプリングピクニックパーティ(花見)のはずが、寝坊して遅刻して普通にカフェでお茶してご飯食べてまたお茶して帰ってきた。電車の中から中目黒の桜見た。きれー

さっきmixi見たら今日のメンバーが全員写真アップしたり日記書いたりmixiミュージックで名前あがったりしてて、それみて あ、みんな帰ってきたんだぁおつかれおつかれと思った。
それって例えばみんなが私の家の向かい側にある一つのアパートのどこかに住んでて、ぱっと明かりがついたのを見て帰ってきたのがわかるみたいな、そんなのに似たなんだか温かい気持ちになった。

昨日髪の毛を乾かしながら「なぜ桜に対してしか”花見”という行事が行われないんだろう」ということを考えて、髪かわかし終わるまでに勝手にひとりで結論を出した。
よくアニーあんまり自分の話しないよねとか言われますが、私が他人に悩み事とか暴露話とかあんまり相談しないのは、脳内のたくさんの私たちの会議でだいたいのことが片付いてしまうからだと思う。そういうのってかわいげがないよなと思う春はあけぼの。
(4/2)



毎日よくなっていくのを久しぶりに実感した。
「昨日はいい日だった」って書こうとしても、今日あったことで書きたいことのほうがもう多すぎるもの。
だから思ったことや閃いたことは、その情熱のうちに書き留めたり形にするのがいちばんいいんだね。

みんながんばってる。


今日は駒沢公園まで自転車で行った。道に迷って迷って、やっとたどりついたら夕方でそらは明るく白くて、大きな木が広い道の両脇から空に沸くように生えていて、ちょうどその時くるりの「リバー」が耳元で流れていて、なんか涙目になった。
久しぶりだな、と思った。
ただ胸の高鳴りに忠実に、初めてのところに行くのも、そこにつくまで苦労するのも、そして行ってみたところがとても良かったことも。
何度も何度も繰り返してきたことだけど、そうやって手に入れて私が満足しなかったことは一度もない。
でも数年前のある日から急に大人しく、大人びているように強制しはじめてから、そういうスピリットが徐々に薄まり始めてしまっていた気がする。だからその時から今までに起こった出来事では、必要以上にへこたれたり涙目になってしまってきたな。
なんだか急に予備校時代からたった今まで、すごく俯瞰して見えた。


「アンの青春」を読んでいてアンが「私は困難を乗り越えていくのが好きだもの」と言っていて、うん、そうだ、わたしもそうだった。と思って、というか話がさらさらと流れるけどアンに共感するところが多すぎて本気で友だちになりたい。
と同時に、アンは17歳なのに素敵すぎる。私なんて今年22歳になるのに。アンシリーズ全部読もう。



いつまでも自分の世界を大切にしようと思う。



最後に、

「ヘスターがうちの母さんに言ったんですって。あの桜の実が食べられる頃まで、あたしは生きていないだろうけれど、自分の植えた物が,自分の死んだ後にも生きていて、世界を美しくする手伝いをしているのだと思っていたいのですって」


私も、私が死んだ後にも生きていて、世界を美しくしたり、誰かがやさしい気持ちになる手伝いをするものを残していこう。
世界を美しくする手伝いだって!私がやりたい仕事はまさにそれだわ。きっとどのハローワークにも載っていない、けどどの職業もそれの一端を担っているものなのでしょうけれど。
(3/6)



何かやってると、目的を見失って行為に翻弄されることがある



どんなに社会から大声で「いらない!」って言われ続けても、虫けらみたいに、ごみみたいに扱われても、いい瞬間、きらめく瞬間というのはあるものなんだ、ということを言うために、そう言ってもどうしても伝わらないから、何百ページもの言葉を連ねなければならない小説家は、とても口べたか、恥ずかしがりやか、なのかもしれない
(今)

2 件のコメント:

  1. 全然本題に関係ないだろうと思ったけど、花見は昔は梅だったんだよ、と書きにきました。
    私は梅の花が好きだから毎年梅で花見をしたいと思って一人でしているよ。

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  2. いらっしゃいませ。
    そうなんだ!あら〜
    梅の花のほうが厳しそうなイメージ。
    花びらも蝋でできてるみたいだからかな。
    散るところも静かだし。
    さきちゃんは梅見のほうが似合うね。

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