2007/12/27

8時に目が覚めて11時に布団を出る

山村幸司の田舎医者を見てきた。短編アニメーションがいくつか。頭山、年をとった鰐、子供の形而上学、田舎医者。(変換が否会社ばかりでる)

文学とアニメーションの相性というのは根本的にとても良い気がした。
一目見たときから仲良くなりたいと思っていた友達同士のような感じだ
その底のなさ、自由さは他の表現から羨まれる。
もう、ひとつの作品の形態として袋小路に追い込まれていると思われているけど、じつは途方もなく上には上がある、というような広がり。を感じる。
自由は意識したとたんに窮屈なものになる
だから自由を謳わない両者は、他のどんな自由な表現よりも自由なのだ


最近人と人との間に流れる見えない気持ちのやり取りのようなものを、ことさら強く感じる
一緒にいる相手にプラスの気持ちを持ち続けていると、絶対にこちらに返ってくる。
ネガティブもポジティブも、思っている以上に連鎖する。
妬みも嫉みも、思っている以上に相手に伝わってしまっている
その場にいなくても。
だから今私の気持ちが重苦しいのは、かつて私が他人に対して抱いた負の感情の跳ね返りなのかな・・・とか。だれかがいまどんな気持ちであれ、私に対して何か強く思うことがあるのかな、とか。
人は一人で生きていないというのは、こういうところにだって反映されていると思う。

そしてその現象をすごくうまく、お互いが楽しい気持ちを投げ合える友達がいるというのは本当に何にもかけがえがないものだなとしみじみ思います。本当に嬉しい。
掛け値なしに相手のことが好きだというのは、それだけでいろんなことが上手くいく気がする。そういうひとがいるだけで。

私がほんとうにひとりぽっちだったら、もう今年は何回も地獄までまっさかさまだったと思う


腰すえていきます。来年は。

0 件のコメント:

コメントを投稿