2010/01/24

大人になったらなにしよう。

こないだユトレヒトの分店?のNOWideaという本屋でセールをやってたので初めて行ってきたんだけど、すっごくいい本屋だった!
初めて私史上最高本屋の流浪堂を越えた本屋かも。
置いてある本にの全てに、光を感じた。
明るい気持ちを大切にしてる本屋で、とっても居心地がよかったです。
おしゃれセレクト本屋って、行くと
「ああ、こういうのがオシャレなんッスね…見させていただきます…」
みたいな感じで純粋に楽しめないというか、
ある種の圧迫感みたいなのを感じることがたまにわりとあるんだけどこの本屋は全然そんなことなかった!
人を不安にさせないというか、高圧的じゃないってものすごく大事なことだと思う。
人生の楽しいことを一緒に分かち合おうという気持ちが伝わってくる本屋でした。結婚したい本屋ですね。
ちょくちょく行きたい。事務所からも徒歩圏内ですし…
表参道にあるよ。青南小学校の向かいの、みゆきビルの2Fです。


そして明日からは内定先の事務所で初バイトです。ドキドキ。やいのやいの。





悲しい気持ちは、内側にくるみこむようにするととたんに楽になる。
悲しみだからといって無理に突き放そうとすると、私の手のひらも痛むのだ。
抱きしめればどちらも痛くなくなるのよ。

2010/01/19

きれいな人 やさしい人

superflyの「愛をこめて花束を」でいま号泣した。



人生は舞台だけど、いつもかっこわるいことばかりしてしまう。
けどライブとかパフォーマンスとか、表現者たちの短い”なま”の舞台のいいところは、見せたい自分を精一杯光らせて、自分が誇る自分だけを信じて本当にして、その一瞬の、弱さにぴったりと張り付いた切実な強さが見れるところだと思う。そして、それが起こった瞬間消えるところだと思う。記憶だけにのこって、永遠に残るところだと思う。

ということを前行ったライブで思ったのを、今、久々に思い出した。



記憶だけに残って〜って書いてる時にこれもまた思い出したんだけど、
ある人が亡くなって、その人の話をするひとの言葉で、
「あの人が亡くなったとき、あの人の持っていた私の記憶も、一緒にあの世に持って行ってしまった」
というのを聞いて衝撃を受けたのを思い出した。
誰かが亡くなると、そのひとが消えるだけじゃなくて、その人が抱えていたいろんな記憶や考えも消えてしまうわけで、その中には私のことも入っているわけで、だからそのひとが死んでしまったことで、私も世界からすこし消えてしまったというわけで。
その考え方ってスゴい。




いきなり壮大なことばっかり言ってますけど、たった今superfly聴いてこうなっただけで、最近は卒業制作も終わり、ゆるやかに春に流れるばかりです。しあわせです。わりと元気です。
superflyを唄いにカラオケに行きたいです。
いま読んでる怒りの葡萄がめっちゃおもしろい。

2010/01/02

五月は芥子の花

1日におばあちゃんの家に行って、4か月の子猫をさわってきた。けど4か月ってもうだいぶ大きかった。
のらねこじゃない猫をおもうぞんぶんさわるのはすごくレアな体験だったので、うっとりとした。
しかもその猫が、金色の眼の、黒猫だった!そう、夜汽車だ!
しかも黒地にうっすらともやみたいな灰色の縞もようがはいっていて、それが晴れた夜空に浮かぶ雲みたいで、ますます景色みたいな猫だった。綺麗だ
初詣もして、初日の出もみて、静かな街をのんびり初散歩もして、いい元旦だったなぁ。


今年もよろしくね。




時間というのは、「流れる」という表現をされるから、液体のような、または真っ白い乾いた砂のような、さらさらとしてどこかに流れて行ってしまうものだと思っていたんだけれども、本当は真逆で、レゴや積み木のような硬いブロックのようなものなんだと思う。
こういうものを作ろうっていう目的を持って積み重ねると、いつかそれは立派なお城やかっこいいのりものになるけれど、そこらへんになんとなく置いておくと、どんどん散らかっていって、うっかりつまづいたりしてしまう。
ということで、今年のカレンダーは一日一日がマスになっているものを買おうと思いました。


ダラダラの実の能力者なんじゃないかと思うくらいだらだらしてしまう…
やるきの実がなる「やる木」なんてあったら、きっと鉢植えで育てるのにな。