2009/02/24

おやすみ前の夢

おやすみ、といって、電気を消した。犬はまだ私の方を見ていたけれど、私もロビンの目をじっと見ながら、電気を消した。
真っ暗になって、ロビンは見えなくなった。けど、ロビンはきっとまだそこにいる。きっとまだそこにいて、わたしがさっきまで見えていたところをじっと見つめているだろう。
わたしもロビンがさっきまでいるところをじっと見つめて、ちょっと微笑んで、階段を上った。
しかし私はただ単に、ひとりで暗やみの中で微笑んでいただけなのだ。

ロビンは消えた消えてないけど見えてないから消えた消えた さようなら



電気を消したあとも、そこにまだいろいろなものがあるだなんて、信じられるだけには大人なようだ。


真っ暗な中で、そこにいつもどおりなにかがあると理解しているのは、全く愛を信じることと似ている。



おやすみと言ってあたしは壁際のスイッチを押して世界を消した


短歌って短歌と思わないで読むとただの文だね。





A.P.Cってあんなに可愛かったっけ?
レディースちゃんと見たのは確かに初めてだったけど…

すっごく欲しいワンピースとニットがあった!両方きれいなブルー!
あと花柄のスカ〜ト〜青とピンクで、かわいかった〜〜〜
あと画像のハンドバッグと、靴!
薄いグリーンのパンツ買ってから、ミントグリーンがものすごく気になる。しかもこんなに見かけるなんて!流行ってるのか?嬉しい。YAB-YUMのミントグリーンのワンピースもすごく気になるし!
ハンズに行ったときにちらっと通っただけなのに、こんなに欲しい物があるなんて異例です。そうでもない…か。


いちばん好きな色の取り合わせは青・ピンク・金色だけど、青・白・茶もすきだし持ってる服はほとんどこの色のどれかな気がする。
きれいなピンクと、ミントグリーンも好き。

エメラルドグリーンも好き。誕生石だから。

君がいるから 毎日がスペシャル

友だちが紹介してたSONYのハンディカムの特設サイト。

http://www.sony.jp/products/Consumer/handycam/camwithme/index.html


娘との思い出を残すっていう疑似体験ができるんだけど、撮ってるあいだはふーんとか思ってたくせに、エンディングで”毎日がスペシャル”と一緒に流れた映像でぼろくそ泣いた
まじであっという間すぎる。娘がお嫁に行ってからのあと、あんなに早く進んでいた時計が、途端にゆっくり刻み出すのがもうなんともいえない。


そしてこういうの見ると本当に思うけど、学校でやる広告なんて全然広告じゃないんだなぁということですね…
社会に出てから”勉強する”っていうよりは、ただもう生きるしかないんだと思う。
一生懸命生きて、実感を大事にするしか。

私が今お母さんだったらこれ見たらSONYの買おうと思うね。
けど友だちも言っていた通り、こういう広告打った商品の売り上げ気になるね。
そして、女の子がほしいなぁとか思うけど、まじで、反抗期とかなったら悲しいだろうなぁ〜……………


追記
毎日がスペシャル、
通して初めて聞いてみたら、やっぱりすごく普通にいい歌ですね

2009/02/22

長いんだけど本気で思うこと

”物を書きたい”という欲求と、”書いた物を認めてほしい”と思う欲求は、それぞれもう全く別のものなんだということに気づいた。
物書きは、本来物を書くという純粋な”行為”ですでに満たされるべきだ、と町田康が言っていて、けっこう前に読んでなるほどと思ってでもすぐ忘れていたんだけれど、すぐ”あの雑誌に連載できるようになりてぇ”とかポーっと思ってしまうのは、結局やりたいことをビジネスや、お金や、名声に無意識に置き換えていたのかなぁ。
べつにそれが悪いことだという結論には全くならないのですが、でも確かに、日々ある思いつきや考えの中で”これはブログに書くにはもったいないな”と思ってひそかにしまってあるネタ(本当に素晴らしいかどうかはさておき)は結構あって、それはやっぱり情報の発表の場に、貴賎のレベルを勝手につけていたんだなぁとは思った。

でも正直webという場所を信頼してないのは確かで、バカみたいに感じるかもしれませんが私は自分の書く物にそれなりのプライドや自信や哲学は持ち合わせているので、自分の書く物はちゃんと”私が書いた”ということで認知されたいと普通に思う。
でもまあ文章なんて水物なので、わたしだって誰の影響も受けずに書くわけじゃないし、書くことは私の精神世界以外の外の世界のことも書くし、むしろ私自身のことについて書いたって、それはあらゆる状況から影響されて私が形成されるわけだし、そうなったらもうこれがいったい誰のものなのかっていうのはすごく曖昧なんだけど、でも”これがなにかに結びついたらいいなぁ”と期待していたのは確かだわ。
でもそれって、ある程度周りから褒められて、自分でもちょっと自信を持ってる分野を持つ人だったら、誰でも思うことだと思うけど。

けど、それを認識したのは初めてだったので、書いておく。
今日もコンビニでめちゃくちゃ憂鬱なかんじの店員さんがゆっくりゆっくりレジを打っていて、3人くらい後ろに並んでいて、普段は「世間は早すぎるのら〜ゆっくり生きたいのら〜ピース」とか言ってるわたしなのに、イラっとしちゃったもんね。
結局自分の都合のいいように言ってるなんちゃってのんびりなだけなんだなぁと思ってしまった。認識の日。


でも、言葉でならなんとでも言えるとは、わたしは絶対に思わない。それは、そうやって言葉を軽く使う人がいるからそうなるのであって、真剣に何かを表現しようと思ったら、言葉も、絵画も、映像も、音楽も、しぐさひとつだって、決して嘘はつけない。
その表現方法にどれだけ真摯に向き合うかという問題だと思う。それを言葉というひとつの方法のせいにしないでほしいと思う。
しかしまぁ、言葉がだまくらかしやすい伝達手段だというのは思う。
言いたいことに対して本物の言葉を紡いでいくのって疲れるし、いくらでも途中でうやむやにできちゃう。
けどそうしない生き方はいくらだってできるし、私はそれを探りながらいきたい。



最初の話に戻るけど、そう、けどね、物を書くことに真摯にいて、それ自体に喜びを感じるならば、どこに掲載されようと、それが私の日記やブログだろうと、私の気分や姿勢は変わる物であってはいけないと思ったの。
そして、世界の隅っこでも、本当のことを言い続けていれば、きっと何かに繋がるんじゃないかなぁ。


わたしがしたいことはね、広告だろうと文章だろうと、どんな表現方法に落ち着こうと、暗いニュースに対抗することを発信していくことなんですね。
あるユニセフの人が言っていたすごく心に残った話で、どこかの国で「今年は一人も飢餓で死ぬ児童を出さなかった」という年があったんだって。でもそれはニュースにならないんだって。それは、死なないのはあたりまえのことだから。
だからそういう考えで行くと、新聞に暗いニュースばかり、というのは当然のことで、それが”当たり前じゃないことだから”怖いニュースや暗いニュースがじゃんじゃん流される。
でも、そういう情報に囲まれていると、どんどんそれが普通のことなんじゃないか、って思えてきちゃうと思うんだよね。
”自分が今能天気に幸せなだけで、本当は社会は暗くて怖いことだらけなんじゃないか”って。
それだけの影響力も、影響させるだけ民間人に密着できるメディアもあるからね。

だからそういう暗いニュースに対抗する力が絶対にどこかで必要だと思っていて、それがきっと広告とか、音楽とか、小説とか、芸術とかの力だと思うんだよね。
やっぱり生きるのは楽しくて、難しいけどでもすごく綺麗な瞬間もあるんだっていうことを、発信する人がいないと、世の中はほんとうに哀しくなってしまうと思う。
だから認められようと認められまいと、ひとりでも誰かが読んでくれる限り、綺麗なこと、楽しいこと、明るいことをもっともっと発信していきます。
そう思って、これからいっそう真剣にやろうと思いました。
どんなことでも、小さなこと、私にとって息をするようなささいなことほど、自分のすぐそばにある物ほど、大切にしようと心から思った。


なんだか熱い文章になってしまった。
もうこれでおしまいです。読んでくれてどうもありがとう。

2009/02/21

女の子には

いつだってやわらかく、かわいく笑っていてほしいなぁと思う。
それだけで本当に世界が居心地よく、楽しそうに思えたりするから。
朝の光をいっぱい浴びて、すこし眠たそうでもいいから、ゆっくり笑ってほしいと思う。
そういたいと思う。
有機的でいたい。植物とか動物とか、あとは風とかの、生きているものとうんと仲良しでいたい。


裸の木を見て、悲しみにくれることはない。もうすぐそこに、花がつくことを私たちは知っているから。


知るということは慰めの一種なのかも。



実家に暮らしていると、家族の生活の雑音やのんきな会話が耳について、忙しい時なんかは本当にうんざりして一刻も早く家を出ようと思っていた。
けど、今日の夜ひさしぶりに私以外の誰も家にいなくて、その圧倒的な自由と、自分以外の人に向けられないフラストレーションが全部わたしのほうを向いていて、
ああ普段、わたしは家族に文句を言うことで、自分の甘さとかの責任転嫁をしていたんだな、ということに気づいた。
いつもだったらこれ幸いと思う存分好きなことして楽しむのに、なぜだか今夜は、焦ってばっかりの自分がくっきりと見えた。

帰ってきて手を洗う家族の水音が、やさしく部屋まで届いてきた。


そうだったのかぁ。じゃあでもやっぱり家出たい。

2009/02/18

ふとしたことで

没作品が赤富士になった。

あなただけ見つめてる

昨日と今日のさっきの日記がなんだか上手く書けなくて、なんでだろう、目を使う仕事ばっかりしてると言葉が奥の方に行っちゃうのかなぁと思ってたんですが、
さっきの夕方二日ぶりに外に出たら、あんまりにも世界が水色にかがやいていて、心がうーんと伸びをするようでした。
ビジュアルで生きていないなんてやっぱり嘘で、目から栄養を補給しないと私はものが書けない。
ビジュアルに興味がないんじゃなくて、ビジュアルに落とし込むことに興味が薄いんだな。

わたしが文章を書くのは私が文筆に秀でているからではなくて、世界があまりにも、あなたに伝えたいことで溢れているからなんだということにも気づいた。


家にこもっていていいことはほぼ0だな!作業は進むけどね。ロボットになりそうになるね。


そして友だちに会って、思いついたアイデアを話した帰り道、ふと、ものすごく不安な気持ちになりました。何だろうと思ったら、それは

好きな人のいいところを友だちに話した帰り道、ふと、その友だちが好きな人を好きになってしまうんじゃないだろうかと不安になるような
この恋は実る。と自分に思い込ませていても、頭のどこかで、ずっとこのまま、この熱い気持ちを抱えたままどこまでも歩いていきたいと思うような

そんな恋の初期症状によく似ていた。あたしが…デザインを…好き?!



なんだか周りの人からの愛を強く感じるこのごろです。


〜今日のドキドキのコーナー〜
自由が丘のビレバンで”こねこのピッチ”という絵本のアニメーションが流れていて、何となく見ていたらね、
「うさぎたちが濡れたピッチのひげに鼻をこすりつけました」
ていうシーンで、かわいいなあと思っていたら次の瞬間、

「うれしさのあまり、ピッチはじっとしていました」


って!!!打ちのめされた!!!!
すごい!

ふつううれしさのあまり…って来たら、からだをふるわせました、とか、目を閉じました、とか、なにかアクションを起こすよね。特に絵本とかわかりやすい筋の話だったら。
けど、ピッチは「じっとしていた」んだよ〜

そうだよね、嬉しいときって、嬉しいことされたときって、その空気を少しでもうごかしたくなくてずっとその時が続くように、次の動作に導かないように、否定ととられる可能性のある動きをすこしでもしないように、じっとしちゃうよね〜

なんかはっとした。
絵本とかでも、どんなときでも、流れのまま勢いのまま書かないで、いつも立ち止まって実感だけを書かなくちゃ。
「こうすればこうなる」のステレオタイプをなぞった創造は、ガイドブックに載ってるコースを丹念になぞる旅行のようなものだわ。
なんの知恵も偶然もひらめきもないもの。

すごいなぁ〜ぴっち…本当のことを気づかせてくれてありがとうぴっち…

2009/02/17



友だちのブログに貼られていた動画を見て、受賞されたことを初めて知った。
村上春樹という作家は、自分の親に対するような意識でとても尊敬している。
一個人で見ると嫌なところとかそりの合わないところはたくさんあるんだけれど(会ったことない人に言われたくないと思うけど)、でも”この人のような大人になりたい”と素直に思う。
うん、こんな大人になりたいな。自分の大切な物は自分で決めたい。そうでしょう?
そしてそれを、世界の前でも、一人の部屋でも、同じように堂々と声に出して言いたい。

しかしこの動画みてすごく時間が経ったのを感じた。端的に言うとすごくおじいさんになっていっていて驚いた。
彼のエッセイを読むといつでも彼は20代のシャープな男の人だし、いつまでたっても安西水丸の書くあの顔なのかと思ってたのに。

才能があってもなくても、名声があってもなくても、時間と老いは平等に訪れるんだな。
だったらやっぱりリラックスして、自分のビジョンを大切にして、こつこつやっていくしかないんだな。逃げられやしないんだもの。

2009/02/16

友だちに言われてふと気の迷いで丸尾末広の「少女椿」のアニメを見てしまった。ら、
めっちゃ落ちて、

【ニコニコ動画】リボンの騎士 OP ED














いつもの私に戻るのに、これだけのファンシー動画を必要としました。
恐るべし丸尾末広……

ところでリボンの騎士のサファイア王子可愛すぎる。漫画で読みたいなぁ

2009/02/15

ごった煮な日記

バレンタインは直径18センチのガトーショコラを作りました。デカ。箱もちゃんと作ったし。えっへん
けど食べたあと2人とも腹を壊した。
~♡Happy Valentine♡~


こんな話題のあとであれですけど、たまびの友だちのブログで丸尾末広の話題が出てきて、感動した。丸尾末広、高校のときにわっかに教えてもらって以来美大で知ってる人に会ったことなかった。
けどあの人の漫画が家にあるのは断じて避けたい。
こないだも素敵な表紙のガロがあって買おうか悩んだけど、なんかガロとか一旦買っちゃうとそのままずるずる影響受けそうなのでやめといた。ら、一緒にいた人が買った。結果オーラ胃



話が前後しますが、私きのう運命の人に出会いました。
いままで好きなタイプ、芸能人で言うと誰?と言われて、とっさに浅野忠信と加瀬亮とラルクのkenちゃんを聞かれた相手の属性で振り分けて使い分けていたのですが

もう今日からはラブユーオンリー。


斉/藤/和/義
なにこれ芸術品?
神様の最高傑作?


きのうユニコーン再結成特番を見てたらさぁ、やけにさっぱりした顔の岸田君とか見てたらさ、あと民生ちゃんって洞口さんにちょっと似てない?とかさ。
そしたらさぁ〜〜〜〜わたしの大好きな”ヒゲとボイン”を唄ってたんだよ〜〜〜〜〜〜〜和/義が!

ものすごい盲点だった……なにこのかっこよさ……



「愛してる」のとこでリアルに顔を覆いました
なにこれ。いい歌詞すぎるよ


”歌うたい”ってぼのぼのの影響かなぁ。最近ぼのぼのリバイバルブームなのでもう四方八方から取り囲まれた気分です。何にって愛に。

2009/02/13

お料理ばんざい!

味ってすごくね?

目に見えないことを、探求するのは、目に見えることを探求するよりずっと怖くて危険で大変そうだ。

だって、どんな味もスキャナーでスキャンしてプリントアウトできないじゃない。
マックのポテトですら、塩加減や芋の大きさは毎回すべて違う。
手料理なんてもっとだよ。
これとこれを足すとこんな味になるってわかっても、その味をメモしておくことはできないじゃない。
なんてこった!なんてすごいんだ人間!!!

オリーブオイルと塩とこしょうだけで味付けしたって、全部同じにはならないし。



最初に調味料とか、さしすせそとか言い出した人はすっごいなぁと思ったんです。
しかも食べたことのないものを食べる勇気って相当だよ。お米ですら、最初は未知の物体だし。
それを蒸すとか炊くとか、いったいどう考えたら思いつくんだろう。
クリエイティブすぐる

お砂糖のたましい

デザインって、人への気遣いの連続だよね。

ものぐさな私は根本的にデザイナーじゃないとおもう。
人を楽しませることも、気分とタイミングが合うときしかできないし

けど、見た人がとりあえず不快な気持ちにはならないようにということだけは今の私でもできるので、それぐらいは気をつけよう。

最近、目がだんだん鍛えられてきた気がする。目と思想と、両方ずっと育てていきたい。



relaxという雑誌がすごくすきだ。
今もあんのかな?
古本で見かけると、必ずチェックしてしまう。
この雑誌何がいいかって、背に毎号文章が書いてあるんだけど、それがいちいちいいんだ。
前買ったやつは全部見せびらかすために学校に持っていってそのままなので手元にないのですが、今日買ったやつのは

「眠るのがもったいないくらいに楽しいことをたくさん持っていられたらいいね」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜

だってさ。いいよね。
中身もかっこつけすぎてなくていいんだ。
仲條正義と笑い飯とステファンサグマイスターと服部一成とハナレグミと湯村輝彦とケミストリーと平野甲賀とその他あらゆる分野の有名無名の人をごちゃまぜに同じ企画の中に放り込んでしまう感性が好きだ。

仲條正義に「好きなアイドルは?」と聞いてしまうところが好きだ。
「今のところ松浦亜弥」と答える仲條さんももちろん大好き。



relaxって、スタイルでもないし、哲学でもないし、カルチャーでもない。単なる”状態”なんだけど、その”状態”を、あらゆる哲学やらスタイルやらを持っている人が共有しているかんじが気持ちいい。
思想が違くったって、同じ状態でいられれば、友だちになれる。
そういうかんじ。

間口はとっても広くって、強迫観念も啓蒙もなくて、ぜんぜん深刻じゃなく、ただ面白いこと、今よりももっといいこと、自然なこと、それを求める純粋さが、この雑誌からは素直に伝わってきてなんの抵抗感もなく読める。

いい大人たちが自分たちがいちばん楽しんでやっている、海辺のパーティみたいだ。
みんな自分が演奏できる楽器を思い思いに弾いて、音楽と波の音に乗って体はゆれて、火でいろんな材料をどんどん焼いてどんどん食べる。あたたかい風が吹いて、空は日が沈む直前のコバルトブルーで真っ青で、星がひとつだけまたたいてる。
太陽が海の際で一本の光の線になる。風が長い髪をふく。スカートが柔らかくはためく。
みんなが笑顔でわいわいしてるのに、とても静かみたいだ……

そんなかんじ。
あーそんなパーティしたい。


relax、大事なテーマだな。
エコとか、オーガニックとかもちょっと違う。森ガールにもなりきれない。だからってパンクにばっかり生きるのも疲れるし、
そうだ、relaxですよ。うん。

2009/02/11

赤毛のアンの、アンの腹心の友のダイアナみたいになりたいと唐突に思い立って、髪を黒く染めてきた。
いえ〜い
最近髪がだいぶ伸びてしばらくしたら、自分の客観的なイメージ図がなくなってきちゃって悶々としてたんだけど、この春はダイアナでいくわ。
〜ダイアナが現代に来て、大学生になったら〜でいくわ。頭弱そうな人だね私。

草色のパンツも買ったしな〜薄いグリーンとピンクと黒の取り合わせのおしゃれとかするんだ〜たのしみだな〜〜〜〜〜
会う人に季節を感じさせるようなおしゃれがしたいですよね、どの季節でも。
あー5月とかになったらあの草色パンツに友だちにもらった白と青のボーダーカーディガンとかも着よう〜〜〜たのしみだなぁ〜はやく薄着になりたいな!

自分の中で新しい色を着るのはとても楽しい。緑色の服って持ってないもの。前に初めて紫色のブラウス買った時もわくわくしたな〜
新しいことはとてもいい。自分だけに新しくても楽しいけれど、それが世界のどこにもない新しさだったらさらに楽しい。

今回は美容師にバレンタインデーの珍思い出を聞いて、創作チョコのアイデア出しをして盛り上がりました。(主に何をチョコでコーティングするか。)
あと「ばいちゃ」とか言っちゃうよね、とかいうことで盛り上がりました。
基本的に「”さいならっきょ”って超古くない?」「もはや口に出したことがないよ」とかそういうことで爆笑してます。中目黒の超おしゃれな美容院で。
彼とは多分前世で夫婦だったと思う。それぐらいいいかんじです。ちなみに言うと飼い犬のロビンとも、前世夫婦でした。それは絶対。

そうそう、何が言いたかったかというと、男の子って無条件で面白いこととか楽しいことにどん欲で、いいよね〜
別に能天気ってわけじゃなくて、色々経験してきて、でも「辛気くさいこといってるより笑ってる方がよくね?」っていうのを常にアピールしてきてくれるので、毎回、あっ人生って楽しいんだった!とはっとする。
ほっとくとすぐセンチメンタルにその辺をさすらっている私なので、本当いいと思う。男の子グッジョブ。
今日話してた男友達もそう!なんかこう、子どものときのテンションをいい感じで残したまま大人になってゆける気がする。男の子って。いいね〜わたしもそうなる。
女の子ってやけに現実的になるか、やけに夢想家になるか、ってなんか偏るよね。完全に私のことですけど


それでは、今日教えてもらったチェ・ゲバラの名言でお別れです。まじで共感。
お送りしたのは数日前まで「チェ・ゲバラって誰?」と言っていましたアニーでした。

「人が人生で熱中できることは3つある。
ひとつが芸術、もうひとつが恋愛。そしてもうひとつが革命である」

2009/02/10

ダイアナ

ブログを何人かで共有すれば、交換しなくてもいい交換日記というのができるな、唐突に思った。
自分でネットの利点を見つけたのは初めてだわ。
そう考えると、夜中の悩みの書き込みとかにみんなで駆け寄れるし、いいよなぁ。

……そうして発展していったのが2chおよび掲示板なんですね。わかります。

2009/02/08

○月×日

みんな違ってみんないい。まじで。予備校時代の合言葉だったけど、やっぱそうだわ。
世の中素敵な子たーくさんいるし、素敵じゃない子わたしのまわりにいないけど、だからってその中で比較してもしょうがないのだ
なぜってみんないいのだ。
わたしもいいのだ。それでいいのだ。


中央線に乗ると泣きたくなるのはなぜだろう。そして絶対にはじめてのやのあきこを聞いてしまうのはなぜだろう(A.中央線という曲が入っているから)。
中央線沿いで生まれたからかな。そのことを考えながらふと目を上げたらちょうど、まさにわたしが生まれた病院のある吉祥寺の駅で、なぜか涙が出た。産声ははるか遠くに置いてきた。
ずいぶんあるいたな。


国立の街はすべてが絵のようだったよ

2009/02/06

glory days glory nights

人を支えるって、具体的にどういうことなんでしょう。
その人がその人らしく動けるように、その人をアシストすることだよね。
たとえばご飯をつくってあげたり?ご飯に誘ったり?差し入れをしたり?(ごはんばっかりだな)
応援メールをおくったり?

私が支えられた経験というものについて考えてみる

予備校時代に課題が間に合わなさそうで、あわてていたら友達が手伝ってくれて、「完成させてよ!わたしこれ結構好きなんだから」と言ってくれたとき とか

最高に冴えないときに、つまんないことばっかりうじうじ言ってるわたしを決して見捨てないでいてくれたとき とか

・・・・・

そう考えてみると、「どんなときでも見捨てない」って伝えることで、そういうひとがいてくれると信じられるだけで、人はかなり支えられると思うな~
人との関係って、相手が辛い時にどういうふうにするかが大事なんだと思う。
本当に大切な人の手は、そんなときこそぎゅっと握ってあげなきゃいけないね。


ということで

君がどんなに冴えない時でも、絶対見捨てないからねーーーーーっ!

淋しくなったりつらくなったら、電話をしてね。淋しくない時でもいいよ。

2009/02/01

古本遊戯流浪堂 讃歌

思い出した!

本屋っていうのは、店主の大きい本棚なんだな。ということに気づいたんです。
地元の名古本屋、流浪堂で。


本棚って言うのは綺麗に保つことなんてそりゃもう絶対無理で、
いつでも読みかけの本 奥から引っ張り出してきた本 新しく買った本 絶対に捨てられない本 などがもう新旧入り乱れて縦とか横とか斜めとかになって置かれている一つの宇宙な訳ですよ。

ですよね、ということを再確認できるような、本屋です。というかでかい本棚みたいなお店です。
なんかもう並べ方はとても自由で、決して意識的にではなく、重ねられていたりして、でも絶対に乱雑ではないの。本と旧知の友だちだからこそ、行えるざっくばらんな付き合い方というか。
だからどの本もとても楽しそうで、うれしそうで、見てて本当にわくわくする。しかもそれがどれも買えるんだよ。
あんなにセンスのいい本棚は見たことありません。
もう本当に、好きな本しかない。読みたくない本を探す方が早い。
いや、ほかの本屋にあったらもしかしたら興味を持たない本でも、流浪堂に来ると、サファリパークの動物みたいに急に生き生きするのかもしれない。(サファリパーク行ったことないけど)
普通の本屋がペットショップや動物園だったら、流浪堂はサファリパーク、いやサバンナです。
もう躍動してるよ。本が。


しかも店の奥に、謎の18禁コーナーあるし。
入り口があって、小部屋みたいになってんの。推測するにけっこう広い。入り口がレジの真横で、しかも店長が(本当に!)イケメンで、しかも私は小心者なので、まだ一度も入ったことはない。
そういうとこもすげーいい。
もうほんといい。
おすまししてなくて、汚いものを抱えているが故の魅力みたいなものもプラスされて、もう麻薬ですよ麻薬。流浪堂。


私にとってそんな古本屋が家から徒歩圏内にあるというだけで、引っ越してきてよかった。まじで。

いっつもどこか遠そうな国の民族音楽ばっかりかかってるし。でもそれがなぜか雰囲気に最高に合ってる。

学芸大学からすぐ、線路沿いに歩いて、マッターホーンが見えたら右に曲がるとあります。
本好きな人はぜひ行ってみて。
そして、流浪堂より最高な本屋及び本棚(個人宅でも可)があったらまじで教えてください。審査に行きます。
ちなみに挙りそうな吉祥寺は百年と、恵比寿のlim Artは、すでに審査済みです。
でも流浪堂の勝ち。(あくまで個人的な見解)



しかもそう、流浪堂平日は夜中の12時までやってるんだよ。もう言うことないよ。土日だって11時までだよ。
本屋の鏡です。


私の人生の目標は始発が出るまでやってる本屋を開くことです。

まじで早く、世界一の本棚を作り上げたいなー……まじで………




ちなみに

最近の予定が何もない日は、起きて、顔洗って、ちょっとなにかして、ご飯食べて、着替えて、散歩して、本屋行って、torse(http://www.torse.jp/)というカフェでむっつり鉛筆でノートに色々書いたり、パソコンもってってパソコンで色々書いたり、考えたりして、帰りに流浪堂に寄って帰るというのが、なんとなく定番っぽい一日になりつつある。
ビスケット でイメージ検索したらすごい幸せな気持ちになった

もう食べられないよ〜


今日はいい思いつきがいっぱいあった気がする!でもほとんど忘れた!



そして目を背け続けていた事実が……
太った……
ここのところの自分至上最低体重に調子に乗りました。
太ったのは決してビスケットの画像を見まくったせいではない。